2006年9月1日金曜日

☆比嘉栄昇:『とうさんか』(テイチク/TECI1134)

ビギンのヴォーカリストである比嘉栄昇の初のソロアルバム。石垣島出身のビギンは、「涙そうそう」の大ヒットや、オモトタケオのアルバム・リリースで、今の島唄ブームを先導したリーダーだった。唄のみならず石垣島を中心とした南西諸島(八重山)の離島観光がブームになり、観光客はうなぎのぼり、東京では書店に行けば何種類も「石垣・宮古・西表」というタイトルの離島ガイドブックが書店の店頭に並んでいるし、沖縄料理店もいたるところに出来、私の自宅のある世田谷の上町(ボロ市以外は閑散としているボロ市通りで開店し、他の店の二の舞にならなければいいがと思っていたが、いつも客がいるので流行っている)にも出来た。テレビでは毎週のように沖縄の離島を取り上げている。今の八重山については、8月に書いた「Journey To Yaeyama Island 2006」のコラムをご覧いただきたいが、ともかく観光客が多くなっていて、昔と言っても8年前だが、その頃と比べても隔世の感がある。ましてや石垣島に生まれ育った比嘉にとって、この変化の大きさはいかばかりだろう。東京から大型ジェットを飛ばせられる新空港の建設も始まり、本土からの資本で観光ホテルや移住者向け住宅が次々と作られ、土地の値段はバブルそのもの、それまで坪数千円の土地が10万円、新空港ができたあかつきには25万に値上がりするだとうと報じているテレビがあった。あの素晴らしい自然に囲まれた八重山が、ハイヒールで東京からそのまま乗り込んでくる連中にスポイルされる、豪華ホテルの別世界を島の中に作ってしまった小浜島のように他の島も変わっていってしまうのではないか、と東京に住む私ですら思ってしまう。このアルバムからは石垣島限定の「八重のふるさと」、宮古島限定の「アララガマまたワイド」、沖縄本島限定の「ティダナダ」と、3枚のシングルがリリースされた。アルバムのトップであり、シングル化もされた「八重のふるさと」では「さよなら八重のふるさと」と、石垣島にさよならを告げている。もちろん決別するのではない。今までの八重山の風景に、島で生まれ育った人間だからこそ、「さよなら」を言っておかないといけないと比嘉は語る。そしてさらに感銘を受けたのは、このアルバムに琉球音階や三線を使わなかった理由だ。比嘉は語る。「近年は島唄と呼ばれるような新しい沖縄のうたが湯水のごとく生み出されているのでそれについては満足しているのですが、三線や琉球音階といわれているメロディーは、時として強すぎる個性のため、旅行先の沖縄で聞いたら良かったのに、地元に帰ったらどうも...となる事があります。石垣島生まれの僕でさえたまに東京でそんな気分になります。ですからあえて今回は先人からいただいた宝物をそっと封印し、平成18年の島唄ではない 島のうたを作りたかったのです」。さすがだ。私ももう7回も離島へ足を運んだ離島ファンであり、向こうの店や空港で聴こえる沖縄民謡は本当に素敵だし、お茶といえばサンピン茶(ジャスミン茶)と、すっかり島に同化してしまう。ところが東京へ戻ると、どこかしっくりこない。だから東京ではほとんど聴くことがなかった。(サンピン茶も飲まないね)俺って本当はエセ?なんて密かに思っていたが、比嘉の言葉を聴いて、やっぱりそうなんだと、とても安心できた。こういうトラディショナルなものは原理主義のようになってしまう人が多い中、比嘉、そしてビギンの言葉はいつも自然体で、心を打つ。だから大好きだ。前置きが非常に長くなってしまったが、そういう訳で、このアルバムに収められた8曲は、マイナー調のメロディーをベースにアコースティック・ギターとピアノを生かしたサウンド、萩田光雄の見事なストリングスアレンジによって、宝石のように美しい歌が生まれた。石垣島の地名を織り込みながら島からの旅立ちを歌う「八重のふるさと」、自分の子供の卒園式を通していつか巣立っていくその日を描いた「まえの日」、これから一緒に長い時間を過ごしていく新しく生まれた夫婦を描いた「宝石箱」と、あまりに美しい歌が続く。じっくりと、そして長く聴き続けるアルバムだ。(佐野)
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