Pages

2021年12月22日水曜日

1974年 WAR 初来日公演(静岡駿府会館)

 今回は今年結成50周年を迎えたファンク・バンドWARの初来日公演体験を紹介する。そ1974年は初ライヴ・アルバム『War Live !』をリリースした翌年だった。当時は全米を制覇(R&B.も1位)した『The World Is Getto』(1972年)、全米6位(R&B.1位)を記録の『Deliver The Word』(1973年)で頂点を極めており、ソウル界代表する存在として全米のトップ・グループに君臨していた。


 この来日公演はそんな彼らのまさに全盛ともいえる黄金期で、絶好のタイミングだったといえる。とはいえ、この時期彼らの人気は(今もそうだが)日本で絶大だとは言い難かたった。その理由は抜群の演奏力を持った本格的なバンドではあったが、初期のEric Burdonのようなグループの顔となるようなメンバーが不在で印象が薄かったからかもしれない。それゆえ当時日本で彼らを支持していた有名人は、元モップスのヴォーカリスト鈴木ヒロミツ(注1)氏程度だった。 

 その初来日公演は、東京・大阪等の大都市に交じって静岡の駿府会館(注2)でも開催されている。ただ昔から静岡で開催される公演は客の入りが悪く、業界では「鬼門」(注3)とされていた。それゆえチケットは入手したが、実際に開催されるかは、当日まで不安交じりだった。 そんな思いで会場に向かったが、今回は開場されており、胸をなでおろした。
 ただ会場の入りは半分程度で、近隣の席にいた熱狂ファンは、「あのWarが静岡まで来てくれているのに、なんだよこの集まり具合は!」と愚痴っていた。とはいえ無事コンサートは開催されたのだからメデタシ・メデタシという思いだった。

  開演時間をわずかに過ぎると、リラックスした雰囲気でメンバーが登場。ステージ上から「Hello」「KONBANWA」とコメントしながら、楽器のチェックが始まった。 
 そして、唐突にB.B.Dickersonのどっしりとしたベースが鳴り響き、そこにLee Oskerのハーモニカが絡み、ずっしりと地響きがするようなHarold Brownのドラムが刻まれ、バンド全体がマグマの噴火を感じさせるように<The World Is Getto>のパフォーマンスがスタートした。オープニングにしては単調なテンポではあったが、その重厚感のあるゴスペル的なサウンドには圧倒された。 
 続いてのナンバーはイントロからPaPa Dee Allenのアクレッシヴなパーッカッションが炸裂する大ヒット<The Cisco Kids>。ここでは、リズム隊以上にCharles MillerのサックスとLee Oskerのハーモニカが見事なアンサンブルで、最高のノリを体感させてくれた。 
 3曲目も大ヒットアルバム『The World Is Getto』から<City, Country, City>。ゆったりとしたリズムの間奏で聴かれるOskerのハーモニカ・ソロはまた格別なものだった。

 そして、4曲目からは彼らの最新スタジオ作『Deliver The Word』からの楽曲が演奏された。まずはリズム隊が大活躍のファンク・ナンバー<Me and Baby Brother>。そこではトップ・グループたる躍動感にあふれていた。 続くは<The Cisco Kids>のメロディー・ラインがフューチャーされた南部風のメキシカンな雰囲気が漂う<Southern Part Of Texas>。この手のチカーノ・サウンドは、後にLos Lobos等メキシコ系バンドに脈々と引き継がれているように感じる。

 6曲目はお持ちかねの大ヒット<Gypsy Man>。アルバムのイントロに挿入されていた風S.E.は、アフリカン・ルーツ・サウンドに通じたリズム隊のどっしりとしたプレイに置き換わってスタートした。この曲の肝は、PaPa DeeのパーカッションとBrownのドラムが刻むリズム隊の踏ん張りだが、間奏以降で聴かせる味わい深いOskerのハーモニカも見事なもので、10分を超す演奏ながら飽きさせる隙を与えなかった。

 そんな迫力満点のファンク・サウンドに続いてはゆったりとした<Four Cornred Room>に移り、ここで一息つく。そしてBrownのドラムをBGにRonnie Jordanからメンバー紹介。そのラストにコールされたOskerは『Deliver The Word』のラストに収録されていた<Blisters>で見事なハーモニカ・ソロを堪能させてくれた。 
 その演奏が終わると同時に、いよいよオーラスといわんばかりに定番の<Sleepin’ into Darkness>の演奏がはじまった。アフリカン・ビートとチカーノ・サウンドが融合したようなお馴染みの彼らの代表曲だ。間奏パートではBob Marley & The Wailersの<Get Up, Stand Upのフレーズも挟み込まれ、ラストはPaPa DeeのパーカッションとBrownのドラム・ソロよる怒涛の応酬合戦で締めくくられた。 

 メンバーが袖にはけると同時に、総立ちの会場来場客による「War~woou~ Ou~ Oooh」という合唱と、割れんばかりの拍手によるアンコール要請が自然発生。しばらくして再登場したメンバーは客席の大合唱を伴奏するように合わせてリズムを刻み、会場内をより一体感を増した。 そして一段落して「Honkey Now !」とコールされ、アンコールに応えた。Warらしいファンク・ナンバーだったが、この曲は未だに不明だ。そして、アンコールのラストは<Get Down>だと記憶しているが、残念ながらこちらも正確には思い出せない。 
 個人的には<All Day Music>が聴けなかったのが残念だったが、絶頂期のバンドの演奏のすさまじさは感動ものだった。そんな高揚する気持ちで、会場内で販売されていた『The World Is Getto』を購入して帰途に就いた。
 補足になるが、それ以降の来日公演で印象に残っているものといえば、1977年に東京で開催された「ミラージュ・ボウル」(注4)のオープニング・セレモニーへのスペシャル・ゲストだった。そこではGodiegoを前座(注5)に迎え、試合会場の後楽園球場に設営された特設ステージで、迫力のパフォーマンスを繰り広げている。この公演はテレビ中継されていたので、ご覧になった方も多いかと思う。 

 ここでは、コール&レスポンスで盛り上がる定番ソング<Why Can't We Be Friends?>
も披露されている。「I Know you're workin' for the」⇒「CIA~♪」 、「They wouldn't have you in the」「MAFAIE~♪」は、今もお馴染みの返しだ。

 なお現在もWarはオリジナル・メンバーでキーボード奏者のRonnie Jordan率いる7人編成で活動を継続しており、2017年に来日公演もおこなっている。また今年10月30日にはカルフォルニア州ベニス・ビーチで、結成50周年のホームタウン・ライヴを敢行し、動画配信もされている。その動画をご覧いただければ、今も本国では根強い人気に支えられている姿が確認できるはずだ。 
 そんな彼らにはオフィシャルでのライヴ・アルバムが3作リリースされている。1作目は文頭でも紹介した全盛期1973年のライヴ、2作目はMCAに移籍後の1980年の『The Music Band Live』、3作目はRonnie Jordanが率いている2007年の『Greatest Hits Live』だ。この中で個人的にお薦めしたいのは、1980年の2作目だ。人気が低迷していた時期のリリースで、セールス的には振るわなかったが、全盛期のラインナップで代表曲が全て聴ける唯一のライヴ作として必聴作だ。 

 (注1)元AnimalsのEric Burdonを崇拝していた彼は、BurdonをメインにしてデビューしたWarの熱心な信奉者だった。当時、自身がホストを務めていた東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送していた「In Concert」(ロック系ライヴ映像番組)でも熱く語っていた。 

 (注2)1964年に完成された東京オリンピック国立屋内競技場(代々木体育館)の設計で名高い丹下健三氏が、1957年に静岡駿府公園(現:静岡駿府城公園内に建造した旧静岡市を代表した多目的ホール。1978年11月に開館した静岡市民文化会館の完成により、老朽化を理由に閉館。

 (注3)1974年春に開催された全盛期Carpenters公演は東京ではプラチナ・チケットだったが、静岡公演は当日券が販売されていた。また夏に開催予定だったCommodors公演は、販売不振で当日中止という憂き目にあっている。 

 (注4)1977~1985年まで三菱自動車がスポンサーとなって東京で開催されていたNCAAカレッジ・フットボール公式戦。 

 (注5)Godiegoの前座公演はこの催しのテーマ・ソング担当していたことからだった。この年は『西遊記』で大ブレイクを遂げる前年だった。

 (文・構成:鈴木英之)

0 件のコメント:

コメントを投稿