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2020年7月25日土曜日

Stay Home (California編 part 1)




前回『Stay Homeからの続き
 苦労の末家族を呼び寄せたBuddyであったが、経済的苦境から脱して住処を見つけ ることがこれからの課題であった。
 そしてそれを可能にしたのはたどり着いた Hungtington Beachそのものであったのだ。当地周辺に油床が発見され、オイル ブームに沸いていた。今では想像できないが、海岸に油田採掘の足場が林立しており全国から投資が行われていた。


 油田採掘の工事が増加したおかげで配管技術を持つBuddyは糊口をしのぐどころか小金ができたので、上地図のPasedenaに貸家を見つけ一家はようやく落ち着いた。
 後年Buddyの孫たちが”パサディナのお婆ちゃん”という歌を歌うことになるのは 妙縁である。さらにBuddyは配管技術を生かして当時まだ農村地帯が多かった Los Angeles南部の農業用水施設の修理で生計を立てることになる関係で 上地図⑧のInglewoodへ転居した後⑨の家に定住することとなった。
 巷間伝わっている話では泥酔や家庭内暴力が絶えなかったという、しかし 家族団欒の時は親子で合唱や楽器の演奏を楽しんでいた、特に子Murryは音楽への 思いは強く将来は音楽で生計を立てることも夢見ていた。

 Murryは高校卒業後は実家から独立し就職後Audreeと結婚する、その際上地図の① に転居し、Brian, Dennis, Carlを育てていた。
 実家の兄弟も長ずるに及び妹のEmilyがLove家へ嫁ぎ後にMike Loveを産む。Love家は工場経営で成功し、平地が多い周辺地区より小高い③の場所に居を構え ていた。3階建の14部屋もある大邸宅でこの事は後にThe Beach Boysの 『Mount Vernon and Fairway(A Fairytale)』の歌詞でa mansion on a hillと歌われ ている。また、Wilson家もよく招かれMurryの曲を披露したり子供同士での合唱も よく行われた。そして将来のコンビとなるMike-Brian-Murry共作の歌も披露していた。
 しかしながら、Love家の事業が1950年代後半に破綻すると、高台から⑤の平屋へ 転居することとなり、Mikeの実家からの独立と同時にThe Beach Boys結成に向かう。Brian出生後に一家は⑪の現在記念碑が立っているHawthorneへ転居する。


 HawthorneはMurryの父Buddyが配管の修理に出かけていた頃の農村風景が一新されて いた、最大の出来事は当地に1939年航空機メーカーNorthropが創業し周辺産業が活性化され労働人口が増加した為である。
 当時は第二次世界大戦が始まりCaliforniaも軍事拠点としての 機能が拡大していく。また1930年代を通じて米国中西部にDust Bowlと言われる砂嵐が発生し、多くの農家に被害をもたらした為Californiaへ移住する農民が増大した。Hawthornも当時労働者が多く流入し、主にMurryの父祖と同じ中西部訛りで話す隣人が多く住んだ。
 同様に1940年代軍需産業の伸長と共に労働需要に応えるかのように南部からの黒人の移住が 急増する。その中心となったのが⑩を中心とするCentral Avenue周辺であった。当地では 黒人による商店、クラブも多く営まれていたので南部からミュージシャンも多くやってきた。
 閉鎖的なクラブから次第に映画の演奏やレコーディングまで手を広げる者も現れ 多くのJazz, R&Bアーティスト産むこととなった。Central Avenueの価値が大きかった事の 象徴的な出来事があった、当時音楽家は組合(以下AFM)を通してギャラの配分などを受けていたが、各地にある人種別のAFMが通例であった。
 Californiaでも白人系の47支部と767支部の二つがあったが、Jazzを中心とするポピュラー音楽の発展により、とうとう1953年両者は合併し音楽現場での人種の壁が取り払われた。以後西海岸のスタジオワークで様々なミュージシャンが活躍していく素地となる。
 
 MurryはThe Beach Boys結成時自営業であったのは有名であるが、オフィスは自宅から離れた ②の場所にあった。仕事帰りにCentral Avenueに寄ってミュージシャンとの交流があったの だろうか?
 詳細なところは分からないが、実際Murryの曲はCentral Avenueのミュージシャン が取り上げリリースしており何がしかの繋がりがあったことが推測される。



 Red CallenderはPhil Spectorのセッションでも活躍し初期のWrecking Crewともいえる 存在である、同時期に活躍したPlas JohnsonもGold Starで多くの仕事をしており 息子BrianのPet Soundsにも参加している。親子二代に渡り繋がりがあるのも面白い。
 親子二代といえば親子共作による『Break Away』が有名だ、その際Murryは変名の Reggie Dunbarを名乗っている。Dunbarの由来は不明であるが上地図⑩にあった1940年代 までに隆盛を誇った伝説的スポットがHotel Dunbarである。

 先にも述べたが、Brianの祖父Buddyの代ではHawthorneの地は広大な森林や農村が広がり 1939年Northropの創業で一変し一気に都市化へ向かった、それらを牽引したのは主に航空産業である。冷戦終了後、航空産業の勢いは衰えた。しかし近年Wilson家⑪のから近所の⑫に電気自動車で有名なElon Musk率いる宇宙航空ベンチャーSpaceXが創業し、Hawthorneは 再び時代の先端に立とうとしている。
(次回に続く) 



1915年頃のHawthorne-Wilson家の実家近くのKornblum Ave. 

(text by MaskedFlopper)

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