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2015年10月7日水曜日

☆がむがむ:『二人のビートルズ コンプリート・レコーディングス1974-1976』(Clink/CRCD5119)


私は日本のロック&ポップ・ミュージックに弱い。コンプリートを目指しているのは山下達郎&大滝詠一関係、ヒロト&マーシー関係、GARO、スパイダースだけで、加山雄三は1970年まで、コレクターズは2010年まで、タイガース~沢田研二は1976年までコンプリート狙いという非常に限られた音源しか集めていない。L-Rと黒沢健一の初期も揃えていた。コレクターなのでターゲットに関してはコンプリートを狙うのだが、それにしても狭い。狭すぎる。GSはけっこう揃っているが残念モノが多いので集めている意識はない。なぜこんなに少ないのかといえば、洋楽人間なので、洋楽テイストが強くないと受け付けられず、またオリジナル曲でないとダメ(ジュリーは例外)とまあターゲットを絞られてしまう。(本当は洋楽に回す費用が多すぎてこれ以上邦楽に回せない)長くなったが、そういう理由で、知らないものだらけだが、この「がむがむ」もまったく知らなかった。しかしコンピレーターとして名を馳せる高木龍太氏による本作は、アルバム『緑の世界』+アルバム未収録シングル4枚と言うタイトル通りのコンプリート音源集。聴いて驚いた。内容が素晴らしいのだ。全てオリジナル、ポップで、ハーモニーも最高じゃないか。オリジナルのメンバーは松永昭一、柿沼タケシ、えらとしやの3
人。

オリジナルのメンバーは松永昭一、柿沼タケシ、えらとしやの3人。元々、中学からの同級生である松永と柿沼のデュオで19726月に「あかてん」と言う名前でCBSソニーからシングル2枚出したもののヒットせず、東芝EMIに移籍する時に甘いヴォーカルを持つえらをひっぱり3人組になって名前もがむがむに変え、19748月に「二人のビートルズ/悲しきメモリー」でデビュー、9月にはこの2曲を含む唯一のアルバム『緑の世界』をリリースする。全12曲中、松永が7曲、柿沼が5曲作曲という全曲オリジナル、えらも作詞だが5曲を担当した。当時シンコーミュージックに所属していて社長の草野昌一に、ともかく洋楽全般を聴けと言われ、特にハーモニーにハマり、CS&N、ビーチ・ボーイズ、カーペンターズ、カウシルズを聴き漁ったそうだ。その頃はフォーク全盛で暗い曲が多かったため、「1910フルーツガム・カンパニー」を聴かされ、こういう明るくて楽しいポップな曲のグループが欲しい、ということで名前も「がむがむ」になったのだとか。曲のクオリティは飛躍的にアップ、3パートのハーモニーも完璧にこなせるまでの実力になった。同じシンコー所属の、チューリップの財津和夫はがむがむをすっかり気に入り、「二人のビートルズ」ではカウンター・コーラスを入れた方がいいというアドバイスを受け実践したとか。72年のあかてん時代から青山のチューリップの合宿所で共同生活を送っていたほどの旧知の仲、「チューリップの弟」としてキャッチフレーズされ売り出された。甘いハイトーンのヴォーカルにポップなメロディ、流麗な曲の展開、そして全面に入る3パートハーモニー、このアルバムは70年代の傑作として語り継がれるべきアルバムに仕上がった。やはり前述の条件を最も満たした「二人のビートルズ」が光るが、カップリングの「悲しきメモリー」もポップでいい。メランコリックなテイストを持つ「ひとりぼっちの僕」はハーモニーも含め完璧。ガロテイストのイントロから始まる「恋が逃げる街」は軽快なハーモニーが生きる。あかてん時代の曲を改作したという「ユートピア」は、アコギとバンドサウンドの切り替えが上手い。ハイトーンのコーラスで聴かせる「コーヒーカップ」、力強いバンドサウンドに乗ったパワーポップ風の「明日の微笑」など12曲に捨て曲はなかった。しかしセールス的には振るわない。セカンドシングルは松永作の「ふくじゅ草の咲く頃/通り雨」。A面はいきなりビーチ・ボーイズばりのア・カペラから始まるが、曲はきれいなバラード・チューン。B面はアソシエイションの「Cherish」風のコーラスが印象的で曲で、全面を覆うハーモニーが素晴らしい。こちらをA面にした方がいいと確信させる傑作だ。ライブではアコギ2本にピアノの編成で、ベースが必要と感じていたので財津和夫が審査するからとオーディションを行い、ベースの宮崎伸一郎が加わりメンバーは4人になった。サードシングルは財津和夫がA面の「青い空はいらない」を作詞作曲、レコーディングもチューリップとコラボで行った。歌は新加入の宮城。ただマイナー調のメロディによるこのA面より、B面はブレッド&バターの岩沢幸矢が作曲から編曲まで行った「駅までの道」で、こちらの方が洋楽テイスト満載のハイセンスな仕上がりで、出来がいい。4枚目のシングルもA面は財津和夫の作詞作曲した「卒業」、前作の反省からか、一転、財津らしい明るくポップなメロディが光る佳曲で、リード・ヴォーカルの宮城とピタリと合った。B面は松永作の「久美子」。バンドサウンド的には最も充実した時期になり、セカンド・アルバムの話も出てきた時にグループのハーモニーを支えてきたえらが脱退してしまう。宮城にリード・ヴォーカルの座を奪われ限界を感じたのかもしれない。残った3人で5枚目のシングルを作製、A面は柿沼作の「昔の恋人」、B面は心境著しい宮城作の「LOVE LETTER」で、AORテイストの仕上がりだが、デビュー時の清新さからは離れた曲になっていた。ヒットがないということもあり、1977年に解散コンサートを行った。個人的な感想だが、「二人のビートルズ」という傑作を書いた柿沼は、セカンドシングル以降に曲の提供が激減、最初にGAROで「地球はメリーゴーランド」という奇跡の傑作を書いた日高冨明が、同じメンバーの堀内護に比べ曲の提供率が下がり冴えもなくなってきた経緯と何かダブって見える。メンバーの松永に比べ提供率が下がり曲のクオリティも下がった柿沼も限界を感じていた気がする。松永はその後シンコーのスタッフになり多くの仕事に携わる。柿沼もシンコーのスタッフを数年やったが、その後音楽から離れる。しかし今はライブカフェを経営。宮城はチューリップの2代目のベーシストに抜擢されソロでも活躍している。えらは故郷でホテルマンとして働いていた。その後2008年、2009年に再結成ライブを行い、多くのファンが遠くから駆け付けたという。(佐野邦彦)

 

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