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2017年11月15日水曜日

佐野邦彦氏との回想録・鈴木英之

VANDAの創設者である佐野邦彦氏が、20171031日に60歳の若さで逝ってしまった。そんな彼の訃報を知ったのは、彼と一緒に取り組んだJigsawのリイシューCDのサンプルが届き、その報告メールを送ろうとしていた矢先だった。

 葬儀は「密葬」と聞いたが、なんとしても彼の現生の姿を目に焼き付けておきたく、奥様と弟の芳彦さんに参列の承諾を取り、滋賀からトランプ大統領来日を翌日にひかえ戒厳令体制の東京に向け新幹線に飛び乗った。新横浜から東急線を乗り継いで、世田谷の会場玄関で15年ぶりに弟の芳彦さんと合流、そして(電話ではおなじみだった)奥様に初めてお会いし、ご持参されていた彼の最期の仕事となったJigsawCDから葬儀用に使用するアルバムを選定させていただいた。そのアルバムは第4作『I’ve Seen The Film, I’ve Read The Book(邦題:愛の想い出)』で、かねてより彼とJigsawの最高傑作と認めていた作品だった。葬儀中に「Who Do You Think You Are(恋のあやまち)」が流れると、「やっぱりこっちがHeywoodsより良い出来だよね!」と会話したことが昨日のことのように頭をよぎった。




 お通夜と本葬では、声だけや名前だけしか存じ上げない方たちとご一緒させていただいたが、そんな葬儀の最中にWeb.VANDAの管理人であるウチタカヒデ氏より、佐野さんの意志を継続していくためにサイトへの参加を要請された。正直なところ、佐野さんが築き上げた功績に迫れるようなものを寄稿できるかは不安ではあったが、彼の「佐野さんを忘れないためにも是非!」という呼びかけに、私が役立てるのであればと参加を承諾した。

そもそも佐野さんと知り合ったのは、VANDAが日本の音楽シーンに一石を投じたVANDA18を発行した1995年だったので22年前になる。
きっかけは私の購入した本が不良品で交換を要請したところ、彼から「零細企業なので不良品をみせないと印刷会社に返金請求が出来ないので現品の返送をお願いしたい」という連絡が入った。そしてせっかく戻すのだからと掲載内容の添削と要望事項などをまとめたレポート用紙を5枚ほど添えて返送した。その数日後、彼から本に添えて謝罪と執筆参加の要請が書かれた手紙を受けとり、彼と直接やり取りをして私がリクエストした「Grassroots」を寄稿することになった。とはいえ、本来漫画好き(元漫画家志望)で文字が苦手の私が文章を書くなんて夢にも思っていなかった。その初寄稿は翌年のVANDA20号に掲載されているが、今となってはとても人に見せられたものではないレベルのものだった。




 その後は彼と頻繁にやりとりするようになり、佐野さんの「それいいね!それ面白そうだよ!」といった流れで寄稿が継続し、いつの間にかレギュラー執筆陣の一人に加えていただき現在に至っている。

そんな私だったが彼から「鈴木さんが知らないことは誰も知らないよ!」とのせられ、佐野さんとは別次元の内容をまとめられるまでに成長させていただいた。おかげで何冊もの本を出版するチャンスに恵まれ、これをきっかけにテレビ・ラジオといったメディアにまで活動の幅を広げられるようになった。これはひとえに佐野邦彦さんという存在あってこそ成し遂げられたもので、彼なしには今の自分はなかったと心より感謝している。ということで、ここへの投稿は彼との回想録を中心にまとめていくことにする。
 
佐野さんとの回想録の1回目は、彼にとって私と最後の共同作業となったJigsawについて紹介させていただく。そもそもJigsawの始まりは彼との交流が始まって1年ほどたった時期の雑談の中からスタートしたものだった。彼から「何か面白いネタはないですかね?」の問いに「1970年代ものでもよければ、JigsawPilotなんかどうですか?」と返答した私は音源をダビングして60分テープを2本送付した。ただその時点では「Jigsaw=Sky High」というイメージが強かった彼はさほど期待はしていなかったようだった。数日後「鈴木さん、両方とも凄く良いよ!」と連絡があり、この二組のコラムは199712月発行のVANDA23に掲載された。 



 ちなみに私が佐野さんに渡したJigsawの音源は「BASFSplash」時期の音源だったが、彼はそれ以前と以後の音源まで探し(末尾にSpecial Thanksとして私と並列表記されているクールハンド竹内氏経由?)、世界に出しても見劣りしないほどの素晴らしい内容に仕上げてくれた。この文面を見たリアルタイマーのファンだった私は、改めて彼の探究心の旺盛な姿に舌を巻いた。これ以降の佐野さんとのJigsaw回顧録については、かなり長くなってしまうので、次回で紹介したいと思う。

201711152000

3 件のコメント:

  1. (末尾にSpecial Thanksとして私と並列表記されているクールハンド竹内氏経由?)そうです、私 Cool Hand Records 竹内義彦です。私自身も Vanda上で「Tip The Music」というコラムを持っていまして、そこでレコードを紹介しておりました。佐野さんがVanda, Radio Vanda, Soft Rock A to Z, その他ガイドブックや専門誌で紹介されていたレコードの殆どを私が供給していました。佐野さんと私はVandaの特集やガイドブック、ソフトロックのガイドライン他についていつも語り合っていました。Jigsawの特集の時に佐野さんから鈴木さんのお名前は伺っていましたが、この特集号では佐野さんの依頼を受けてJigsawのデビューから中期までのイギリス原盤を供給させて頂いただけで、私自身は寄稿しておりません。今思えば佐野さんは自身の体調を案じてか、佐野さん自身が過去に手がけた作業を Web Vandaでアーカイヴする目的もあったのかもしれません。私は世界中のソフトロックファンの人達と中古レコード販売を通じて仲良くなりましたが、それら多くの外国の人達がVandaを知ってソフトロックにのめり込んだと言っています。それを考えると佐野さんを中心に我々がやってきた事は、場所や世代を超えて価値観や意識を共有する作業だったのだと実感しております。Cool Hand Records 竹内義彦

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    1. Cool Hand Records 竹内様
      コメントをありがとうございました。
      竹内様の佐野氏に対する回想録をもっとお聞きしたくなりました。
      機会があれば是非よろしくお願い致します。
      WebVANDA管理者

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    2. ありがとうございます。機会がありましたら。。でも、佐野さんとの思い出を回想録にしたら私は本20冊分ぐらいホイホイと書いてしまいます。みなさまご存知のように佐野さんは本質をストレートな表現でされる方で、それが私と同じでして、いつもああでもない、こうでもないと熱く語り合っていました。佐野さんが「ウチは祖父から三代続く巨人ファンですからね」と言えば「ああ、ウチも同様に祖父の時代から熱狂的なカープファンですがねえ」と私が返してバトルに発展するといった仲でした。佐野さんは本音をストレートに語ってくれるから信じられるし、様々な意見を取り込んでなお仲間になれる人徳みたいなのを持っておられました。あの佐野さん特有の奇妙な走り書きみたいな文字が懐かしいです。他人に読ませるといった配慮のない書きなぐったような文字、それは佐野さんからいつも情熱が文字になって溢れ出していたからなんでしょうね。あまりも読めない文字なので私は電話で確認してたぐらいです。あの頃はお互い熱かったなあ、いま思えば、それも良い思い出です。Cool Hand Records 竹内義彦

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