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2017年3月19日日曜日

江戸時代幕末下級武士の普段の食事と、その暮らし。忍藩の石城が書いた「武士の絵日記」(角川ソフィア文庫)がベスト。続いて江戸詰めの紀州藩士が書いた食日記を紹介


現在の埼玉県行田市あたりに松平氏直轄の忍藩があった。日記を書いた尾崎石城は、はじめは100石知行取の中級武士だったが、幕末の時代、純粋な気持ちで藩政を批判したところ咎められ、禄を取り上げられ10人扶持という下級武士に落とされた。しかしこの石城は真面目で純粋、人付き合いが良く、大変な好漢であった。この彼が残した「石城日記」は彼が類まれなる絵の腕前があるため「絵日記」になっていて、江戸時代の武士の日常を知るにはこの「武士の絵日記」(角川ソフィア文庫)がベストと断言する。

冒頭のとおり石城は100石知行取(年収378万)が10人扶持(年収113万)まで下げられてしまった。咎めの蟄居が終わったが、養子先からは追い出され、妹夫婦と同居している。独身である。妹夫婦とは仲が良く、石城には人望があり、かつて同格の中級武士達とも仲が良い。江戸時代の武士は仕事がない。せいぜい週に1日か2日の仕事だ。中級武士の「御畳奉行」が饗応で遊びほうける日記もある中、石城は貸本屋から万葉考、古今集、平家物語、徒然草などの日本の古典から、中国の古典、武士道に関する本など408冊も借りて読み、写本をしている。10人扶持では生活できないため、その絵の才能を生かして、掛け軸や屏風、行灯の絵など頼まれて描いて生活の足しにしていた。生活が楽でない中、町人で生活に困窮している少年や、後家になった貧しい女性などの世話もしていて、その高潔さが素晴らしい。石城は2人の同じ下級武士の友人と、3つの寺の和尚と仲が良く、毎日のように通って、様々な話に花を咲かせ論議をし、一緒に食事を作って食べ、酒を飲み、風呂に入り、酔ってそのまま泊まることもしばしばあった。石城のもとにはとにかく多くの人が集まる。特にお寺はサロンのようで、武士だけではなく町人も来るし、女性も、子供も来る。和尚は魚を食べ、酒を飲み、女色の話にも興じるなど、親しみやすいのでみなが気楽に訪れる。石城は我が家のようにお寺に入り浸っていたので、和尚が不在の時は留守番を引き受け、施餓鬼や花祭りの手伝いもしている。そしてお寺では武士や町人に武芸の稽古もしていた。この真面目な石城は女性にうつつをぬかすこともなく、誰にでも誠実に接していた。江戸時代は武士がえばりちらし、町人達は搾取されるだけの暗黒時代などということはまったくなく、それぞれが助け合って生きていて、現在からみると理想郷のような世界にも見える。贅沢ではないが、平和な世界が存在したのだ。絵日記には部屋に猫も犬もいて、今と変わらない生活があった。さてここで毎日の普段の石城の食事を紹介しよう。

ご飯は江戸では武士も町民もみな白米を食べ、町人でも15合食べていたというから大食らいであった。朝に一気に炊き、-朝は味噌汁で、昼はもう冷や飯だが、野菜や魚をおかずにし、夕飯は残った飯をお茶漬けに香の物というのが定番だった。後半の武士は紀州藩と関西のため、昼にご飯を炊くので昼は味噌汁や煮物、煮魚と食べるが、夕飯と翌日の朝食は茶粥やお茶漬けに香の物だったそうだ。江戸詰めの紀州藩の藩士より、この石城の食事はもっと質素のように思える。

☆石城の普段の食事例(おかず。順に朝・昼・夜)

615日  記載なし    焼貝     しじみ汁・さけ

616日  つみれ汁    とうふ    おなし

617日  ごぼう汁    茄子漬    松魚ふし(鰹節)

618日  記載なし    八杯豆腐   八杯豆腐

620日  茶漬け     茶漬け    茶漬け

95日   記載なし       茄子藤まめ  お茶

96日   かゆ           玉子     湯豆腐

97日   菜しる     里芋・油揚  かもの汁

98日   ねぎ汁     里芋     茶漬け

114日  菜汁      茶漬け    とうふ汁・まめ飯

115日  豆腐汁・さけ  里芋・大根  記載なし

116日  ねぎ汁     すきミ    茸したし

118日  むきミ汁    いわし    むきミにつけ

1115日  な汁      茶漬け    さつま芋

1月3日   ぞうに     茶漬け    貝さし・むきミ・数の子・酒6

14日   茶漬け     煮豆     貝さし・酒6

15日   菜汁      目さし    茶漬け

※すきミ…魚肉の切り身  むきミ…あさり、はまぐりの殻を取った中身

☆ハレの日には御馳走を食べる

214日夜の酒宴…まぐろさしみ、たら、三つ葉、まぐろ煮つけ、むきミ、うとぬた、湯豆腐、酒7合、みりん3合、酢16文、まぐろ300文、たら70文、三つ葉48文、わさび20文、うと56

1月13日…中級武士の友人に呼ばれた時の正月料理…雉子鳩(山鳩)、松茸、三つ葉、吸い物、煮肴1皿、鶏ごぼういりつけ、菜玉子とち、湯豆腐、稲荷ずし、寿司いろいろと非常に豪華。鶏などの鶏肉はハレの日でないと滅多に食べられない。

☆料亭の食事(女将・主人とも仲が良く、いつもの仲間の武士やお寺の和尚と大いに楽しむ)

111日…武士2名、僧2名…そば6椀、ぶり煮つけ2皿、酢だこ2皿、ぶり魚軒2

122日…武士2人(お相手は料亭の主人と女将)…茶碗、三つ葉、松茸、鯛、煮肴、かまぼこ、よせくるミ、ゆば

621日…武士2人、和尚1人(お相手は料亭の主人と女将)…玉子焼き、茶碗蒸し、くるみ茄子、酒で800

42日…武士3人。酒宴のお金は石城が帯を質に入れた600文で調達する…目黒さしミ(目黒の秋刀魚)、目黒ぬき、ぬた、ぼら塩焼き、れんこん、豆腐田楽、酒3升、クコめし(クコの葉と根を入れた混ぜご飯)

●江戸時代の食文化について語る時に、まず当時の貨幣の最小単位である「文」が現在のいくらぐらいか知る必要がある。江戸末期なら1文は20円である。(忍藩では116円換算)ここより上は10進法ではないので換算は複雑なので1両は128,800円、1分は32000円(1両=4分)、Ⅰ朱は8000円(1分=4朱)、銀1匁は2000円(銀1匁=100文)である。外で一般の町民相手に購入するものなのでほぼ文である。

 

続いて紀州和歌山藩の藩邸勤務の下級武士の食事である。「幕末単身赴任下級武士の食日記」(ちくま文庫)からだが、参勤交代での単身江戸勤務なので、収入はかなり良く、江戸詰め手当で年39両、米は現物支給され、米の残りを売ってさらに2両を得ているので年収528万とかなり良い。仕事はやはりあまりないので、普段は江戸の町中を見学して楽しんでいた。

〇藩邸で自炊をしていたので年間のおかずの購入量

☆魚(順に1年に買った回数、総数、1回当たりの価格)

いわし 42回 718匹 17文  さけ 18回 461切 25文 

かつお 15回 456切 30文  まぐろ 14回 802切 57

このしろ 9回 176切 19文  はまぐり刺身 7回 94個 13

さば  6回 140匹 23文   ぶり  6回 112匹 18

他あんこう、どじょう、さめ、ぼら、あじ、たら、さんま、ばか貝刺身など

(この筆者ははあさりが嫌いで食べない。江戸ではあさり、しじみは大いに食べられていた)

☆野菜

なす 22回 331個 17文  大根 9回 128本 14文  ねぎ 5回 56本 11

菜 3回 95本 31文  はじけ豆 3回 68本 22文  柿 3回 64個 21

真菜 3回 64個 21文  白瓜 3回 62個 20文  ごぼう 3回 44本 13

こんにゃく3回 40個 13文 

他ほうれんそう、新菊、たけのこ、わさび、れんこんなど

☆総菜類

煮豆 489回  玉子 168回(120文)  梅干し48

焼き豆腐 48回 5文   白豆腐 14回 30文  揚げ豆腐 11回 5

漬け菜 37回 265本 7文  なすからし漬 11回 140個 12

奈良漬 2回 28個 14文  きゅうり浅漬け 2回 14個 14

他わさび漬、大根味噌漬、たくあん

(豆腐は大変人気があり、豆腐と炊いた豆腐飯、椀の下に調味した豆腐を置いて上から飯を持った埋豆腐、焼き豆腐を煮てわさびで食べる今出川豆腐、豆腐を細長く拍子木に切って酒1杯、醤油1杯、水6杯の汁で煮た八杯豆腐など100種類もあったという)

☆江戸での外食はなんといってもそば。屋台を除いても江戸町内に3763店もあったという。

かけそば・盛りそば(16文)、天ぷら(32文)、しっぽく(24文)。玉子とじ(32文)、上天ぷらそば(64文)、そば御前(80文)、五目そば(100文)ちなみに上酒1合(40文)

☆にぎり寿司

鶏卵焼、車海老、海老そぼろ、白魚、まぐろさしみ、こはだ、あなご甘煮長のまま

一個4文から8文で、大きさは現在のにぎり寿司の4倍と大きくリースナブル。

刺身やこはだ等には飯の間にわさびを入れ、ガリもあり、現在と同じだ。関西人の著者も、にぎり寿司に関しては、「寿司は握りて押しは一切なし、調味よし、上方の及ぶところにあらず、値も賤し」と絶賛している。

☆スイーツ

上方のものを食べていた筆者は、饅頭は不満だったが餅菓子は絶賛している。麹町で食べられた「おてつ牡丹餅」は白砂糖を使っていて大いに甘く、小豆,黄粉、胡麻の3食の小さな牡丹餅のセットで、江戸の名物だった。48文と書かれている。夏は冷たい水を「ひゃっこいひゃっこい」と言いながら歩く水売りが1杯4文、注文に応じて白砂糖、白玉を入れて8文から10文となる。茶屋で「白玉水」を飲んだ時は、茶代と一緒で68文もした。

〇その他

上司に持参する高価な白砂糖や氷砂糖を使った歌詞は上菓子と言われ銭1119文(22380円)もした

豪商三井家での衣紋のお稽古のあとに振るまわれた御馳走

ぼらの味噌汁、口取肴は蒲鉾、寄せ物は芋、栗、なが芋、玉子巻、ぼらの刺身と貝柱に生海苔と大根をあしらえたもの、最後に蒲鉾の味噌汁、平皿に盛られた芹、椎茸、蒲鉾、麩でご飯を食べてお菓子も付いていた

(佐野邦彦)

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