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2015年9月16日水曜日

★南大東島ツアー 2015

南大東島ツアー 2015


佐野邦彦




南大東島へ行く観光客は少ない。沖縄といってもこの絶海の孤島は断崖に囲まれビーチがなく、海で遊ぶことは不可能だからだ。九州のすぐ近くの九州島から台湾にあと100㎞のの与那国島まで数珠のようにつらなる琉球弧の島々から全く離れ、沖縄本島から東南360㎞に北大東島と並んでポツンの浮かぶこの孤島は、台風の通り道になっていて、本土のニュースでも「台風○号は南大東島付近を...」としばしば出てくるのでこの島の名前は意外と知られている。ただ実際に行く観光客は、私のような「もう他の離島には行き尽くした」コアな人ばかり。だから空港に置いてある島の地図も、あの多良間島でも、与論島でもカラーのポスターを折りたたんだような島の見どころ案内を空港に無料で置いてあるのに、この南大東島では300円で売っている。タダのパンフはカラーのA3を4つ折りにしただけのもの。役場に観光課が特別ないようだし、来島者は事前に勉強してくる人ばかりと見た。

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南大東島は1日那覇から2便。JAL羽田625分発で那覇9時到着。次にRACで那覇935分発・南大東1040分着と乗り換えはギリギリである。究極の離島(多良間、与那国、与論そして南大東)でお馴染みのRAC、琉球エアコミューターだが、南大東は所要65分と一番遠い。しかし何度乗ってもこのプロペラ機にはたまらない魅力があり、離陸時のプロペラのブーンという高回転音にいつもわくわくしてしまう。スピードが遅い分揺れることが多いが、プロペラ機に長く乗れるのは嬉しいことだ。




あと妻も同意していたがこのRACのCA(小型機なのでいつも1人)がいつもとびきりの美人である。失礼ながらJALのCAとは段違い。JALグループなのでベルトとネームプレートはJAL表示だが、まあよくこれだけの若いきれいどころを集めたもの。RACを使う時は是非チェックして欲しい。
さて、飛行機は南大東空港に到着。建物もゲートもなかなかオシャレだ。レンタカーを借りたが、空港唯一の喫茶店みたいな場所が連絡所になっていて座っていると携帯でなにやら連絡。もう空港に車は置きっぱなしになっているのでそれに乗って、レンタカーの事務所(修理工場だったが)まで来てほしいという。お昼近くになっていたので、食事のあとに寄りますと言って、まずは前から食べようと思っていた「大東そば」で大東そばと大東ずしのセットを注文する。大東そばは沖縄そばと同じ系統だが麺が極太でこしがある。はっきりいって沖縄そばより数段美味しい。沖縄そばは麺が細い縮れ麺で、宮古そば、八重山そばになればなるほど麺にこしが出て美味しくなる。その八重山そばよりさらに、というかはるかに大東そばにはこしがあるのだからたまらない。そしてサワラを漬けにして保存食にした(常温で一日もつ)大東ずしが、これがまた美味しい。漬けなので醤油は不要、そのまま口にいれればよく実に食べやすい。すっかり大東ずしが気に入ってパックに入った9個入りのもの(600円)を12日で2回も食べるほどだった。昼食の後は近くにシュガートレインの現物が展示してあるというのでそこへ立ち寄る。



サトウキビを運ぶために島を巡っていたこの電車は昭和58年に廃線となったが、島の何か所で僅かにレールも残っているという。かつては島を一周し、各港、各集積所へと島全体に線路が走っていたそうだ。沖縄には鉄道がないと言われていたが、ここ南大東島に日本最南端の鉄道が走っていたのである。展示されていたシュガートレインは2両で、最後まで使っていた青いディーゼルエンジンのものと、大正時代に作られた蒸気機関車で、その小型でかわいい姿にまったく「鉄オタ」ではない自分もすっかり気に入ってしまった。その後にレンタカーの店へ行くが、免許のコピーを撮っただけで申込書などの記入無し、車体の確認なし、日曜はガソリンスタンドが閉まっているのであとで走行距離を見てガソリン代をもらいます(後にオチあり)と何らやメモだけ取ってすぐに手続きが終わる。この離島特有のアバウトさがいい。人口が多い島はちゃんとやるが、少ない島はだいたいアバウト。そこがなんだかいいんだなあ。その後はこの島の成り立ちが分かるという「バリバリ岩」へ行く。ここは幅1mの、海の方まで続く道が、そそり立つ岩の断崖で挟まれ迫力がある。


この島ははじめニューギニア付近で誕生し、太平洋プレートに乗って毎年7cmずつ北へ移動し、4600万年かけて今の位置まで移動してきた。その巨大な力によってこの裂け目が出来たのだとか。その僅かな隙間にダイトウビロウの木が大きく成長していて、植物の生命力の凄さを感じる。奥の方は急な上り坂なので障害のある私では行くことができず妻にビデオで撮影してきてもらった。その先には洞窟があるようだが、もちろんそこへは入らず戻る。次に向かったのは国の天然記念物であるオヒルギ群落のある大池を望む大池展望台へ上がる。手すりがあれば現在はなんとか登れるのだ。オヒルギ、つまりマングローブだが、その緑に囲まれた大池は、淡水である。淡水に汽水域のマングローブとはなんとも奇妙だが、はるか昔に陸封されたそうだ。この南大東島では島の中央部に多くの天水による湖沼があるが、海水の淡水レンズにより海水の上に淡水が乗っていて、この島の水源として島の開発時から大きな力になった。(ただし塩分は若干混じるので農業用水で、飲料水は雨水を集めていた)



ここでこの島の歴史を紐解きたいが、最初に見つけたのはロシア艦船で「ボロジノ島」と名付けていた。ペリーが立ち寄ったと言う話もあるが明治維新後、日本の国土に編入する。ただ先に書いたようにニューギニアからやってきたこの島は、他の沖縄・奄美の島々と違って一度も大陸とつながったことがなく、ダイトウオオコウモリのような固有種も多く、何よりも人間が住みついたことが一度もない無い無人島だった。琉球の人間はこの島をウフアガリ島と呼んで存在を知っており、何度となく開拓を集ったそうだが、この絶海の孤島は距離も遠く危険だと尻込みをして誰一人行こうとしなかった。
その中で手を挙げたのが八丈島出身の玉置半右衛門。何度も失敗を重ねてトライし、1900年にようやく島に上陸する。熱帯の植物が密生する自然と格闘しながら徐々に開墾し、20年後には今の人口の3倍以上の4000人が暮らすようになっていた。ただ驚くのはこの南北大東島は玉置が国から払い下げで買った私有地であり、行政機関もない治外法権。給料は島の中で商品兌換ができる独自紙幣で支払われ、教育は私学、病院なども私立、唯一警察官だけ、給料を玉置持ちで支払って駐在してもらっていたというから驚く。行政がいないので選挙権ももちろんない。玉置は明治後半に死去、後を継いだ息子はボンクラ揃いでその権利は東洋製糖、大日本精糖という企業へ移っていくが、太平洋戦争まではまさにサトウキビなどのモノカルチャーによるプランテーションで、当時の大日本精糖は「植民地経営の見本」と自画自賛すらしていた。ところが日本は敗戦。日本の敗戦は財閥解体や、農地解放などいい面も多く、ここ南大東島も支配していた大日本精糖を追放、村制がしかれ戦後になってやっと行政機関が島を統治することになった。島の土地は大日本精糖が所有権を主張し続けたが、アメリカ統治下だったので1964年にアメリカの高等弁務官の英断で、土地は全て小作人のものとして大日本精糖の土地所有から解放される。実に島の開拓から64年後に島の土地が個人のものになったのである。
ただこの島を開拓した玉置半右衛門は、圧政者扱いではなく、この何人も寄せ付けなかった島を見事に開拓した英雄として、「玉置報徳会」という島の行事があるほどで、その日には玉置の銅像の清掃などを行っているそう。まとめサイトでは「玉置天皇」など悪く書かれている玉置だが、現在の村民のこれだけ愛されているのだから、ネット記事はつねに眉唾で読まないといけない。特に人権云々を今の基準で当てはめようという人が多いが、その時代も加味して評価しないとダメだ。こうして開発された南大東島だが、上陸した時に真っ先に心配されるのが水だった。しかし島の中央部に多数の淡水の湖沼を発見、その心配は解消されることになる。この大沼の展望台のあとは、島全体が見渡せるという日の丸展望台へ向かう。ここも手すりがあるのでなんとか上がると本当に島全体、360度見渡せる。



本当に平坦な島だということがよく分かる。島は大きな区画で作付けされ、そのパッチワークのような光景は北海道を見ているかのよう。島の縁が断崖で盛り上がっているようで、小さな島のパノラマなのに、先に海が見える場所が僅かなのはなんとも不思議な感じがする。島全体が農地なのはいかに開拓されたかという証しでもある。次に向かうのは海軍棒プール。この島にビーチがないと書いたが、島の子供に泳げる場所を提供しようと島の縁の岩盤をダイナマイトで破壊・掘削し、手掘りのプールを作った。車1台がやっとの道を進むと広い駐車場があり、そこからはじめて南大東島を囲む太平洋の大海原が目に飛び込んできた。本当に深い青で、まさに瑠璃色、実に美しい。本土の海岸から見る青さとは藍の深さがまったく違う。今まで沖縄の翡翠色の海に憧れてその色を堪能するために毎年通っていたが、ここ南大東島でみた瑠璃色の海の素晴らしさはそれに匹敵する。



「ヨルタモリ」で加山雄三が海の話をしていた時に、「船で黒潮を越えてから見える太平洋の青さは本当に美しんだよなー」と言っていたことを思い出した。南大東から見える海はもう黒潮の外であり、だからこんなに深い青で輝くんだと納得。ただこの快晴の、風もない日に、さすが太平洋の外洋の打ちつける波は荒い。その海軍棒プールには何度も大波が乗り越えていて、とても怖くて泳げるようなものではない。事実、誰も泳いでもいなかった。というか今回の旅行で行った場所で、他人と一緒になったことは一度もないのだ。入れ違いは何度かあったが、土日なのにどれだけ観光客が少ないかということだ。これは実は個人的にもっとも嬉しいこと。きれいな景色を、誰にも邪魔されずに独占で見られるから離島の旅行はやめられない。
そのあと島の反対側にもプールがあるというので塩谷プールへ行ったが、こちらは海流の関係か波が小さく、プールの目の前で写真を撮ることができた。でもこのプールの外は外洋ですぐに水深1000mになるのだからとても泳ぐ気持ちにはなれないな。
今日のラストはシュガートレインの線路の痕跡を見つけること。地図にその場所はイラストで出ているもののアバウトな表示でさっぱり分からない。そこで島で土木作業をしているお父さんに聞いて見ると、すぐ先にあるという。ただしほんのちょっとしかないよと。行って見ると...あったこれは線路の跡だ。道路の停止線のように道路の幅だけ線路が残っている。でもこれだけで十分。帰りはコンビニがないという島の中で、唯一コンビニのようなきれいな売店である「太陽ぬ家(てぃだーぬやー)」へ寄る。ここは飲み物や食べ物、おみやげからお菓子、子供のちょっとしたオモチャもおいてあり、この店独自で作っている食べ物も多いようだ。すっかり気に入ってこの12日で4回も行ってしまったほど。ここで今晩のビールやつまみ、飲み物やお菓子などを買って宿泊のホテル宮里へ向かう。ホテルはフロントに人が無い場合もありそこは離島だが、そこそこきれいだし、エレベーターがあるのが嬉しい。
室内はシャワーのみ、私の場合立ったまま体を洗えないから便器にこしかけて体を洗う。冷蔵庫は室内になく廊下に共用の冷蔵庫があって随時取りに行くのだが、ホテル(ビジネスクラスだが)なのにこの冷蔵庫共有やシャワーのみというのは、電力不足、水不足であったことを容易に想像できる。この南大東島でテレビが見られるようになったのはなんと昭和50年だというのだから、いかに全てに不便を伴っていたのか分かる。夕食朝食込のプランにしたので、魚尽くしの夕飯を食べ、夜中にも空港で買った大東ずしのパックを食べ、お腹いっぱいになってこの満足な初日を終えた。

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朝食はシンプルだが、和琉折衷のおいしい朝食で満足。コーヒーもあったしね。1120分の午前便で帰るし、レンタカーの距離精算もあるので1020分くらいには空港に行っておきたいところ。820分頃ホテルを出たので、2か所行ければ十分だ。南大東島の買った地図には山羊鼻という北西の海岸近くにゴジラ岩という奇岩があるそうだ。まあ知床にもあるし珍しいものではないが、「たくさんある奇岩から探してみてください」というクイズのような紹介に行って見ようと思った。ただあると思われる場所は車では行けない、徒歩での道の様で断念する。しかし海岸沿いには、地図にはただの道としか書かれていないが、石積みの高台へ上がれる道が続いていたので行って見る。その石垣の上にあがると目の前には180度に広がる太平洋。快晴の空の下、空よりもはるかに深い青、群青、いや瑠璃色の海の美しさにしばし放心したかのように見とれていた。


昨日の海岸棒では同じ海でも海岸に荒波が打ちつけていたが、今日は穏やかである。島の東西で打ち付ける海流が違うように思える。あと残る一か所は、旧南大東空港の建物をそのまま使って島のラム酒「コルコル」の工場になった場所を外から見ただけで空港へ戻ることにした。時間はあるのでゆったりと走ると、昨日から思っていたが沖縄の道と雰囲気が違う。なぜなのか注目して見るとまず花の数が少ない。沖縄ではハイビスカスやアリアケカズラの赤や黄色の色鮮やかな花が常にそこここに咲いているが、その数が圧倒的に少ない。そして琉球松の松林など見ると、ここは本州かと勘違いしてしまうほど。よく見ればフクギもあるし、バナナ、パパイヤの木も点在はしている。亜熱帯なので十分に育つのだが、元が八丈島の島民なので、基本的に植林した植物が違うようだ。
空港へ到着して受付すると、車椅子は普通はその場で預かり荷物になってしまうのだが、なにしろmax50人しか乗客がいないのだから慌ただしさが無くゆったりしていて、「飛行機に乗り込んだ時にお預かりしますから乗っていていいですよ」と嬉しい返事。やっぱり離島はいいねえ。そして空港に駐車したレンタカーの精算で電話をしてもらうと、昨日の走行距離のメモを失くしたようで、「こっちのミスなんでガソリン代はいらないって言っています」とのことでレンタカー代だけで済んだ(笑)。いやーまさに離島。昔、石垣空港で直接車の受け取りをして乗り捨ても出来た時代、私は、大手レンタカー会社はチェックが細かいし高いので個人がやっている小さな会社のレンタカーを申し込むのだが、空港で「車は2台あるけど、こっちの大きいのはエアコンが壊れていて、こっちの小さいのはエアコンは大丈夫。どっちでも同じ値段だけどどうする?」と言われ、迷うことなくエアコンが動く小さな方を選んだことがあった。大きな石垣島でも昔はこれだから(笑


帰りのRAC1120分に定刻出発、乗継はやはり30分ちょっとだが少し遅れが出て1555分に羽田へ戻った。遅い出発便だと羽田着が22時近くになるため、次の日が月曜なのでキツくて選択できない。(ただし私は体力がないので月曜は常に年休で休む)たった24時間の滞在だったけど、南大東島は見どころ十分。本来なら星野洞という有名な洞窟があるが、短距離しか歩けない自分では無理なので飛ばしたのにもかかわらず、それでも見どころはこのように多い。沖縄の珊瑚礁の翡翠色の海はもちろん最高だが、本土では見ることができない、また沖縄でも外洋までいかないとみられない、目の前全てに飛び込んでくる青い瑠璃色の海を味わってみたらいかが







2015年9月5日土曜日

ヤマカミヒトミ:『As we are』(nu music/nu002)


 昨年5月に初のソロ・アルバム『Withness』を発表した女性サックス・プレイヤーのヤマカミヒトミがセカンド・アルバム『As we are』をリリースした。
 本作は自主制作という形態ではあるが、9月9日よりamazonでの全国流通もされるということで入手が容易になったこともあり取り上げたいと思う。
 前作のレビューでも彼女のその華々しい経歴を紹介したが、小野リサのバンド・メンバーとして、また由紀さおりや久保田利伸からsaigenjiや流線形等々、ジャンルを超えたそのセッション・ワークは多岐に渡り、ミュージシャンズ・ミュージシャンと言っても過言ではないのだ。



 まずは本作のレコーディング・メンバーについてだが、前作から引き続き平岡遊一郎(雄一郎から改名)がギタリストとして参加し、ヤマカミと共同でアレンジも担当している。正式なクレジットこそないが、『Withness』同様にサウンド・プロデューサー的立場でアルバムのキー・マンとなっているであろう。
 日本のブラジリアン・ミュージック界では高名なパーカッショニストの石川智も前作からの付き合いで、アルバムを通して巧みなプレイを聴かせてくれている。
 また新たに本作では元Bophana(ボファーナ)の織原良次がフレットレス・ベースで参加し、サウンドがより立体的となって構築力も一段と高まったといえよう。
 では主な収録曲を紹介しよう。
 前作は6曲中オリジナル4曲にカバー2曲がスパイスを与えていたが、本作でも1曲のカバーを含む6曲から構成されている。
そのカバー曲、ブラジル・ミナスジェライスのシンガーソングライターであるトニーニョ・オルタの「Manuel , o audaz」からこのアルバムは幕を開ける。
 友の息子に「自分探しの旅に出なさい」と捧げた歌詞を持つこの曲は、オルタの80年のセカンド・アルバムのラストを飾る美しい曲である。因みに筆者は数年前に来日中のオルタ本人にサインをもらった程大好きなアルバムでもある。



 話を戻すがここでのカバー・ヴァージョンは、アルト・サックスとフルートとで原曲が持つ柔らかく温かい陽射しのようなメロディを奏でている。イントロとエンディングの風と鳥のSEは石川による特殊なパーカッションによるものでこの曲を優しく演出している。

 続くオリジナルの「Capivara」は、ソフトロック・インストルメントルというべき愛すべき小曲で、VANDA読者にもアプローチするだろう。サウンド的にはドン・サルヴァドール・ミーツ・ポール・マッカートニーといえば分かり易いだろうか(いや分かり易いことはないな(笑))。ヤマカミはリードのWhistle(口笛)の他、フルート、メロディオン、バリトン・サックス(以下バリサク)と八面六臂の多重録音を敢行しており、ベース・ラインを受け持つバリサクがメロディ・パートにチェンジしたりとアレンジ的にも工夫が見られる。平岡もスライド・ギターをプレイして曲の世界観を広げており完成度は高い。

 「空のはじまり」ではヤマカミとしては珍しくピアノをメインにプレイしており、ブラジリアン・スムースジャズといったスタイルだろうか。ここでは織原のフレットレス・ベースがアクセントとなって曲の持つ美しさを引き立てている。筆者的には後ろ髪引かれるようなピアノとフルートのユニゾンによるリフレインが、ソウルジャズ系ピアニストのロドニー・フランクリンの「Theme For Jackie」(『Rodney Franklin』収録80年)を彷彿とさせて好きにならずにいられない。

 一転してリズミックな「Nakupenda」はアフリカン・ミュージックからの影響が強く、平岡のギターはハイライフ・スタイルでプレイされている。この手の曲では織原のフレットレス・ベースと石川のパーカッションは水を得た魚のようで縦横無尽に動き回るのが聴いていて楽しい。ヤマカミのアルトもアフリカン・ミュージックに影響されていた頃の渡辺貞夫に通じる、大らかで雄大な風景が目に浮かぶプレイである。

 アルバム全編を通した印象としては、前作以上にヤマカミのパーソナリティが色濃く出ていて、タイトル通り" As We Are (あるがまま)"という言葉に集約されていると感じられた。
 またインストルメントル・アルバムということで、ソフトロック及びポップス・ファンが多いこのサイトの読者はやや身構えてしまうかも知れないが、筆者の解説によって興味を持ってくれることを心から願いたい。

(テキスト:ウチタカヒデ






2015年9月4日金曜日

☆Various:『She Rides With Me-Warner Surfin' & Hot Rod Nuggets』(ワーナー/16660)☆『What A Guy-Warner Girl Group Nuggets Vol.3』(ワーナー/16657)☆『Hanky Panky-Warner Girl Group Nuggets Vol.2』(ワーナー/16656)


昨日退院したのでお約束通りワーナーのコンピ3枚の紹介。まず23曲収録の『She Rides With Me-Warner Surfin' & Hot Rod Nuggets』の目玉はなんといってもブルース・ジョンストンはビーチ・ボーイズ加入前の1965年にリリースしたSidewalk Surfers名義のシングル「Skate Board/Fun Last Summer」が両面とも収められたことだ。どちらもブルースが書いた曲で特に流麗なA面のメロディとハーモニーを聴くと、ブルースがビーチ・ボーイズに引っ張られた理由がはっきりと分かる。B面も明るくポップな佳曲。1993年に日本のM&Mの『Bruce & Terry Rare Masters』に収録されていたのみでマスター(でしょう)からは初。そしてタイトルになったブライアン・ウィルソンが作曲・プロデュースを担当したPaul Petersen1964年のシングル「She Rides With Me」は、かつてPaul Petersenのベスト盤CDに収録されていたが、長く廃盤だったので持っていない人はマスト・バイ。曲としては『Little Deuce Coupe』収録曲を彷彿させるようなちょっとタフな曲で、バックヴォーカルにエフェクトがかけられていた。しかしここで要注意。このワーナーのテイクはミックスが違うので印象が若干華やかながら、6秒早くフェイドアウトしてしまう。エンディングのハンドクラップのあとの低いヴォーカルも小さくミックスされていたので、Paul Petersenのベスト盤CDを処分してはいけない。

ブライアンの作詞・作曲ではCastellsの名曲「I Do」も入っているが、先に書いたようにCastellsのコンプリート作品集や、直近で紹介したコンピ『Here Today』にも入ったので今はレア度がない。ただし出来は一番いい。その他では他のコンピには入ったことはあるがバリー・マン自作自演の1963年シングル「Johnny Surfboard」も入っていた。バリー・マンがオールディーズから脱却しつつある時期の曲なので、まだ甘酸っぱさの残る曲だ。A面の「Graduation Time」はコンピの内容に合わないという理由で収録されなかった。その他ではサンディ・リンツァー&ダニー・ランデル作、ボブ・クルー・プロデュ-ス、チャーリー・カレロのアレンジというフォー・シーズンズ・チームのBeach Girlsの「Skiing In The Snow」はさすが安定してできたが、この手はワーナーの他のコンピのものも『The Dyno Voice Story 1965-1968』に収録済みでお馴染みだろう。ゲイリー・アッシャー関係も内容がいいものが多いがその他のコンピに収録済み。でもインストあり、初CD化ありでよく考えられた選曲だ。バリー・マン作は他にMatadorsのシングル「I've Gotta Drive」が収められたが、内容的にはその前にリリースされたゲイリー・ゼクリー作の「Ace Of Hearts」のシングルの方がいい曲だったが、歌詞の内容が違うか...。特筆すべきはこのコンピシリーズの素晴らしいのは、①コンポーザー②プロデューサー③アレンジャー④レコード番号が全て明記してあること。海外のCDにはこの情報が書けているものが多いので、これはさすが。アーティストを知らなくても①②③の情報でおおこれはって聴いてしまう。60年代は優秀なスタッフが山ほどいるので注目点満載となる。あとはVol.1からVol.5まで5枚同時に出たガール・グループ集があり、そこにもスタッフ的に興味芯々な曲が多いが、「ガール・グループ」は得意ジャンルではなく出版社から「ガール・グループで1冊お願いできませんか」と頼まれた時は即座に断ったほど。だから気になる曲以外、一切触れないのでご勘弁願いたい。中途半端な知識で書くのは嫌なので。『What A Guy-Warner Girl Group Nuggets Vol.3』にはテディ・ランダッツォの作曲・プロデュース1曲、プロデュース1曲が入った。元々はシンガーだが後に作曲家兼プロデューサーに転身、特に1964年から1967年の楽曲は、ためてためて一気に弓を放つようなドラマティックなプロデュースと、転調に次ぐ転調の見事なメロディラインは最高で、このFBでも少し前にこの時代の作品リストをまとめて掲載させてもらった。どれだけテディ・ランダッツォが評価されているかというと、山下達郎先生が、バリー・マンと並んでテディ・ランダッツォのワークスも集めている...と聞けばよく分かるだろう。しかし残念なのはその多くがCD化されていないことで、今回収録されたAnnabelle Foxの「Lonely Girl」はかつて『Girls Will Be Girls Vol.1』というコンピに収録されていたもの聴けなくなっていたので持っていない人は購入しよう。Royalettesのセカンドアルバムに入っていたので曲がご存じの方も多いと思うが、ヴォーカルがより力強いので出来はこちらの方がいい。残念なのはこのシングルはSatinというレーベルから101の番号でリリースされたものだが、100の方は同じくテディ・ランダッツォの作曲・プロデュース、さらに同じくRoyalettesのセカンドに入っていた「Getting Through To Me」で、こちらの曲はRoyalettesにテディが提供した曲の中でもベストのドラマティックな曲だったので、こちらも是非入れて欲しかった...。その他ではプロデュースだけ担当したOrchidsの「Love Is What You Make It」があるが、テディらしさは感じられない。もう1枚は『Hanky Panky-Warner Girl Group Nuggets Vol.2』で、この中のHale & The Hushabyesの「Yes Sir, That's My Baby」は貴重。ジャック・ニッチェがプロデュース、リード・ヴォーカルはダーレン・ラブの妹のエドナ・ライト。バック・コーラスにはブライアン・ウィルソン、ジャッキー・デシャノン、ソニー&シェール、ダーレン・ラブが参加したという超豪華版だ。興味深い事はこのシングルは1964年にApogee盤の直後にReprise盤が出て、1967年にはThe Date With Soulにクレジットを変えてYork盤と、3つのヴァージョンがある。Apogee盤はReprise盤よりエコーが多め、York盤はさらにエコーが薄くひとつひとつのヴォーカルが聴きやすくなっている。さてではこのコンピに入っているのは何のヴァージョンか?クレジットではReprise盤となっているが、これはYork盤。というのはフェイドアウトが10秒短い。長いRepriseヴァージョンは、かつて1993年にM&Mからリリースされていた『Brian Wilson Still I Dream Of You』で聴くことができきる。この盤にはフォー・シーズンズ・ファンにはマスト・バイ・アイテムが。それはDiane Renayのセカンド・シングルB面の「Tender」で、曲とプロデュースはボブ・クルー、アレンジはチャーリー・カレロ、語りを交えたバラード曲で世界初CD化である。なおこのシリーズ全6枚のデザインは、VANDAのデザインを担当していただいているデニー奥山さんだ。(佐野邦彦)

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