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Japanese
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Rod
McBrien interview
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- Q1.
あなたのバイオグラフィについて教えてください。
- 私が最初に作曲し、レコーディングしたのは、高校生の時だ。数人の素晴らしいミュージシャンが私のホームタウンであるニューヨークの
Amityville
や、その近所にいたんだ。その連中とともに、私が集めたか、もしくは、私がその中の一人だったバンドがいくつかあったんだ。The
Tornadoes
が最初にレコーディングをしたグループだ。メンバーは
Mike Consi、Terry Ketcham、Hal Schad、Bill
Gildersleeve
と私だった。みんな高校の同級生だ。
ある日、ぼくたちはみんな学校を辞めて夢をかなえるため都会へと進出したんだ。もちろん、それはヒット・レコードを作るためだ。Brill
Building
のブロードウェイの1650番や1697番で、とにかく当時ぼくたちは誰かにぼくらのデモを聴いてほしくて、アポなしで突撃しまくったんだ。そんな時に幸運は訪れた。幸運にも
Jim Gribble という当時結構いけてるグ
ループをマネージメントしていた人の目に止まったんだ。彼はとてもぼくらのことを気に入ってくれて、レコーディング・マネージメントを引き受けてくれたんだ。Terry
Ketcham と入れ替わりで Joe Venetucci
がグループに加わり、ぼくたちは次のレコードを Jim
Gribble と Stan Vincent のプロデュースの元、The
Long Island
Soundsというグループで録音したんだ。レコードは
Down Records からリリースされた。George Goldner
の立ち上げた新しいレーベルで、その名の通り、落ちていってしまったレーベルだった。確か記憶では、ぼくらが最初で最後のリリースだった。
ぼくの音楽業界でのはじめてのフルタイム仕事は
Ultra-Sonic Recording Studio
での見習いのオーディオエンジニアとしてだった。Ultra-Sonic
は Long Island
に出来たばかりのスタジオだった。そこのオーナーのBill
Stahl
と親しくなって幾つかのデモをとらせてもらった、そして彼に頼んで雇ってもらったんだ。マイクや機材ののセッティング、スタジオの掃除やセッションの後の灰皿の掃除なんかをやったね。でも、ぼくはすぐにやり方を覚えて自分でセッションを受け持つようになったんだ。初めて
George "Shadow" Morton に会ったのも、
ぼくのエンジニアとして初めての No.1
ヒットになったShangri-Las の "Leader of The
Pack" も、このUltra-Sonicでの事だった。John
Linde と Pete Antell に会ったのもここだしThe
Valrays
がレコーディングキャリアを開始したのもの、やっぱりこの
Ultra-Sonicだった。
ぼくはレコードセールスの印税や、アドヴァンス料金、契約金などに頼っていてはダメだと早いうちから学んだんだ。だからこそエンジニアとして長い事続けていられて、収入も得る事が出来ている。1964-1965年頃に6ヶ月だけ
the U.S. Coast Guard Band
に居た。そこから帰って間もなくニューヨークで最初の仕事の依頼が来たんだよ。
Brooks Arthur
はニューヨークで一番のエンジニアで僕の良き指導者だった。プロデューサーの
Hugo (Peretti) & Luigi (Creatore) は RCA
レーベル からRouletteレーベル
に移ってきたばかりだった、だから Roulette Studio
を運営するのにエンジニアが必要だった。Brooks
は僕が適任だと思って僕にやらせてくれた。Ted
Daryll に出会ったのも The Eastern Scene
が結成されたのも、正に Roulette
的な偶然だった。
Roulette から Allegro Recording Studios
へぼくは移った。Allegroは60's
には最も熱かった沢山のヒットソングがレコーディングされたスタジオだ。そこは
Laurie Records の所有物でヘッドエンジニアは
Bruce Staple だった。60's
の後半にぼくはそこでエンジニアとして数年を過ごした。Dion,
The Chiffons, Tommy James & The Shondells,
The Royal Guardsmen, Mitch Ryder & The
Detroit Wheels, The Critters, The Innocence, The
Tradewinds, Bobby Bloom や The Tokens
等がその頃録音された人たちだ。Allegro は 1650
Broadway(Brill
Buildingがあった場所)という音楽業界では有名な場所に位置し、その下に僕たちはいたんだ。そこでは地下鉄(=おそらく上記のアーティストのこと)行き来する音なども当時聞こえた。そこでの録音のクオリティーには直接影響はしなかったけど、まあでも、音楽がないとレコーディングの方向性も決めれないからね。
何年かのうちに Brooks Arthur が自身のスタジオ
Century Sound
を立ち上げ、ぼくをセカンドエンジニアとして迎えてくれた。このスタジオは長続きはしなかったけが、ぼくはここで
Neil Diamond, The Grateful Dead, Jimi Hendrix,
Janis Ian, The Boxtops, The Jaggerz, Bobby
Rydell and Jimmy Darren
等のヒットソングを録音した。
たくさんのスタジオで長い間エンジニアとして働いてきたけど、今ぼくはニューヨークのアパートメントに小さなスタジオを持っていて主に自分の作品の為にエンジニアとして働いている。そしてこのスタジオでは少ないけども顧客がいて
Jimmy "The Wiz" Wisner
が利用してくれるし、最近では Randy & The
Rainbows や Paul Evans
が利用してくれてぼくもそれをエンジニアとして手伝った。
70's
のはじめにぼくはコマーシャル業界が有益である事に気付いて
Rod McBrien Productions を作って Coca-Cola,
Miller Beer, Pizza Hut, Campbell's Soup, Special
Olympics, Claritin, Kodak, Burger King などに CM
ソングを書いている。これでぼくはアカデミー賞の広告部門やその他のたくさんの賞を獲得したりもしている。
ぼくの会社はレコード業界や広告に音楽を提供する会社なんだ。ぼくはアメフトのOrange
Bowl や Fiesta Bowl
にも書いたし、国や国際的なイベントの為にも曲を書いた、例えば
The Vietnam Women’s Memorial の為に Crystal
Gayle に提供したし、The Women's Memorial
に提供した曲は Kenny Rogers and Patti Austin
が歌った。1997年にはアメリカ空軍50周年記念の為に
"Above and Beyond" も書いた。
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- Q2 : a.
ポップミュージックに興味を持ったきっかけは?
- 最初は祖母の影響だ。私が幼稚園生だった頃、母親は日中仕事に出かけ、その間は祖母が自分の面倒を見てくれていた。祖母はテレビを所有していなかったが、とても大きなフロアに置くタイプのラジオを所有していた。私が覚えている限りでは、その大きなラジオは一日中つけっぱなしで、「Make
Believe
Ballroom」が私が一番良く覚えている番組で、未だにオープニングのタイトル曲を歌える。そのラジオは今ではラジオとしての役目を果たすことはできないが、それらの思いでとして、今はぼくのリヴィング・ルームの家具となっている。
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- Q2 : b.
そしてあなたの当時お気に入りのアーティストは誰でしたか?
- シンガーでは Frankie Laine
と Perry Como
がパッと頭に浮かぶね。ぼくの祖母の家の近所に
Frankie Lane
という人が住んでいたんだ。もちろん、Frankie
Laine とは違う人物なんだけど、だから、Frankie
Laine が最初に頭に浮かんだのかなあ。
ティーンエイジャーの頃は、Elvis Presley、Little
Richard、Dion and The Belmonts、Chuck Berry、The
Cleftones、Johnny Ray、The Skyliners、Bobby
Darin、The Del Vikings、The Coasters etc.
まだまだこんか感じで続くよ(笑)。
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- Q3.
音楽業界に入るきかっけは何ですか?
- 音楽から感じる愛、そしてビジネスとしてエクサイティングなところかな(つい最近
A&E Network
紙で読んだんだけど、60年代初頭の音楽ビジネスのシーンの中心はニューヨークシティのBrill
Buildingや1650
Broadwayだったって書いてあったんだ。ほんとその一部に関われたことが光栄だし、うれしいよ)。それで最初のレコーディングセッションの時にハマってしまったんだ。これがぼくがやりたいことだって。音楽で暮らせていければ最高だってね。音楽を作曲する側プロデュースする側、実際に演奏する側、エンジニアリングする側、こんなんじゃあ、本職は見つかる訳ないよね。でもこれ以上のこともないよ。こんなところが理由かなあ。後、自分はこの業界に向いていると思ってたし。
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- Q4.
あなたの最初の仕事は何でしたか?
- 最初に曲を書いたのは4年生の時だった。良く覚えているんだけど、譜面に曲を書きたくてたまらなかったんだけど、ドラマーだったし、譜面にどう書き込むのか何てことはサッパリ分からなかったんだ。リズムやビートは良く分かっていたんだけどね。それで従兄弟の
Alan
が助けてくれたんだ。彼はあまり上手でないアコーディオン・プレイヤーだったんだけど、音階や音を譜面に書き留めるなんてことに関しては問題なかったね。でもその時作った楽譜はもう何年もどこかへいってしまって、見つかっていないんだ。
最初にレコーディングに携わったのは R&M
Records からの TheTornadoes による "That's My
Girl" と "Round House"
だ。メジャーレーベルでの最初の仕事はメジャー放送もされた
Cameo Records からのThe Valrays による "Get A
Board" だ。
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- Q5.
The Eastern Scene と Pebbles
& Shells が Salt Water Taffy
以前のあなたの仕事と思われますが、
実際にはどういったグループだったのですか。教えて下さい。
- Ted Darryl が "Let Me Be
More Than Friends Tonight"
という曲を世の中に発表する前に聞かせてくれたんだ。ぼくはとても気に入り、これはスマッシュヒットするだろうと思った。確か、Ted
自身が The Lovin' Spoonful
に書いた曲だ。しかし、ぼくが提案したんだ、ぼくたちのグループを結成しててぼくら自身でプロデュースしようと。The
Lovin' Spoonful
にあげることや、他の人に上げることなんて忘れてさ。だって、この曲はとてもヒットしそうだったんでレコード作ろうよって。それで
Ted は合意してくれたんだ。ぼくは John Giametta
を、そして Ted は Jimmy Strassberg
を誘い、それでグループができて、レコードを作れる体制が整ったんだ。
ぼくらの友人 Reid Whitelaw
がグループをマネージメントして、レコード契約をする役として招集された。Reid
は Amy Records の Freddy DeMann
と契約をしてきてくれた(Freddy
はその後、マドンナのマネージャーにまで上り詰めた人物だ)。Reid
はグループをペンシルバニア州の Scranton
へテレビ番組のため送り込み、その同じ州にオハイオ州の
Cleveland での Up Beat TV Show
というテレビ番組までアレンジしてくれた。
Scranton までは車で行けたのだが、 Cleveland
へは飛ばなければならなかった。もちろん、この時はぼくらが最初に飛行機に乗った瞬間だったのだが。この週の
The Up Beat Show
にはもう一つの注目のグループが来ていた。The
Temptations だ。
この旅がとても記憶に残っているのが、ぼくらの旅費にかかった費用を取り戻すために、Reid
が Up Beat
の他にぼくらを地元のナイトクラブへのブッキングしていた事なんだ。ぼくらはハウスバンドとして
Go-Go Girls
と一緒にクラブで演奏をしたんだ。でも問題があって、"Let's
Be More Than Friends"
以外の持ち曲は4、5曲しかなかったんだ。おまけに
"Let's Be More Than Friends"
はダンスミュージックじゃなかったし。これがおおまかな
The Eastern Scene の流れかな。A one-record
wonder さ。
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グループの写真を見つけたんだ。存在しないと思っていたんだけど。この写真で興味深いのは
Ted Daryll、John Giametta
も僕もこの4番目に写っている男を思い出せないんだ。もしかしたら、ぼくの昔の友人で
Long Island から来た Ron
DeMarinoかもしれないけど、確かじゃあないね。
もう一方の Pebbles & Shells はよく 60
年代に多く見られた本当の意味でのスタジオグループだ。ミュージシャンは皆、スタジオミュージシャンで、歌のパートは全てぼくだった。ぼくは本当に
"Let's Be More Than Friends Tonight"
という曲がお気に入りで、The Eastern Scene
で成功しなかったものの、再度レコーディングしたんだ。ぼくは念のためいざお呼びがかかってもまた
On The Road (旅:ライブ活動を目的とした旅)
できる様、メンバーを4人用意していたんだ。ぼくらは新しいグループとして、業界向けの写真も用意してた。実際には集まってリハーサルなんてことは、ほとんどしなかったけどね。
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l-r :
Ted Darryl, not sure, Rod
McBrein , John Giametta
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The Long
Island Sounds
"The gaucho pony"
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The
valrays
"Get on board"
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The
Eastern Scene
"Let's be more than friends
tonight"
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Pebbels
& Shelles
"Let's be more than friends
tonight"
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story goes on ...
...
--- next
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インタビュー:佐野 邦彦(Kunihiko
Sano/VANDA)
英訳・和訳・意訳:岩井 信
(Shin Iwai),
福原 努 (Tsutomu
Fukuhara)
レコード写真提供 :
佐野 邦彦(Kunihiko
Sano/VANDA) , 石山哲也 (Tetsuya
Ishiyama)
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