2019年5月26日日曜日

WOWOW一周忌追悼番組 西城秀樹「YOUNG MANよ永遠に」


 平成から令和に年号が変わり、昭和が生んだ不世出のシンガー西城秀樹さんが亡くなった一周忌当日(516日)、彼の死を惜しむファンがフィルム・コンサートに詰めかけたと聞く。また命日の当日1830からWOWOWでヒデキのスペシャル・プログラムがオンエアされている。





 その放映プログラムは『ブロウアップ ヒデキ』『西城秀樹ライブ~バイラモス2000~』『傷だらけの勲章』の3本立てだった。『傷だらけ~』以外の2本は、ヒデキの最大の魅力であるライヴ映像だ。



昨年の追悼記事でも紹介したが、その一本『ブロウアップ ヒデキ』からふれていく。このライヴ映像は19757月より敢行されたヒデキ初の全国ツアー「全国縦断サマーフェスティヴァル」を収録したドキュメント作品だ。ここには以後ヒデキのライヴには欠くことのできない存在となる吉野藤丸バンド(メンバー紹介では吉野藤丸&U.F.O.)の初お披露目でもあった。その初日となったのは720日、富士山麓に設営された巨大な特設野外ステージでのパフォーマンスだった。


この作品は、同年10月には一般劇場公開されており、19853月にはビデオ化され、さらに20157月に発売された9枚組DVD BoxThe Stages Of Legend –栄光の軌跡―Hideki Saijo And More』にも収録されている。なお昨年のヒデキの訃報に際し、この作品は717日から全国3ヶ所のライヴ・ハウス(Zepp)での再上映会が実施され、ほぼ即日完売という人気ぶりだった。





そして、もう一本『西城秀樹ライブ~バイラモス2000~』は彼の9作目で、ラストの映像作品でもある。これは彼の通算80作目のシングル<Bailamos>の発売を記念して2000331日に新宿厚生年金会館で行われた一夜限りのスペシャル・ライヴだ。今回はこの2本のライヴ映像について、参考資料を加え詳細データをまとめてみた。なおカヴァーには(オリジナル・アーティスト:発表年)を表記した。





『ブロウアップ ヒデキ』(19751010日 松竹系劇場公開作品)


富士山麓特設ステージ~オープニング、Get Dancin’ (ディスコ・テック&セックス・オー・レターズ1974)、悲しみのアンジー(Angie)(ローリング・ストーンズ:1973)、恋の暴走、情熱の嵐、グッド・バイ・ガールズ札幌~愛の十字架、傷だらけのローラ(フランス語)この愛のときめき、旅は気ままに、大阪球場~激しい恋、青春に賭けよう、至上の愛、グッド・バイ・ガールズ、エンディング




(サポート・メンバー)


演奏:藤丸バンド、永尾公弘とザ・ダーツ、コーラス:クルクル、指揮:惣領泰則



このライヴの初日は1975720日で富士山麓に設営されたステージでスタートした。そこに全国から3万人を集客するというビッグ・イベントだった。その移動に使われたバスの車中では、ファンの大合唱<青春に賭けよう>がおこり、既に臨戦態勢だ。そのオープニングはクレーンに乗って降臨という派手な演出でファンを興奮のるつぼに引き込んでいる。巨大スクリーンもない当時では破格の来場者サービスだったはずだ。またヒデキは常にヘッド・フォンをモニターとして装着しているが、そのルーツをたどれば、ドラマーだった彼が1971年に初来日したシカゴの(ドラマー)ダニエル・セラフィンに影響されたものではないかと思える。


また大阪球場のラストでの倒れても倒れても起き上がるその様は、「ジェームス・ブラウンのマント・ショー」を彷彿させるほどだ。


この映像作品での収録曲は15曲だが、全20曲収録のライヴ・アルバム『ヒデキ・オン・ツアー』も発表されている。とはいえ映像の③⑩⑬はアルバム未収録で、ファンであればどちらも聞き逃せないはずだ。なおは前年に発表した第3作のライヴ・アルバム『リサイタル/新しい愛への出発』(197525日)に収録されている。

 余談になるが、このライヴは当時テレビのスペシャル番組で放映されていたと記憶する。私はヒデキが歌う、フランキー・ヴァリの<瞳の面影My Eyes Adored You)>を日本語訳詞(「もう一度~」で始まるヴァージョン)が目に焼き付いている。このヒデキの選曲センスが光る全米1位ナンバーは残念ながら映像化されていない。




参考:カヴァー収録曲について


Get Dancing



フォーシーズンズなどのプロデューサーとして知られるボブ・クリューが手がけた覆面グループ、ディスコ・テック&ザ・セックス・オー・レターズのデビュー曲であり代表曲(全米10位)。この曲はこのグループのセッションにも加わっているケニー・ノーランとクリューの書下ろし。このコンビはパティ・ラベル率いるラベルに<Lady Marmalade>、フランキー・ヴァリの<瞳の面影>で全米1位を獲得。またノーランはソロでも<夢のバラード(I Like Dreamin’)>を全米1位に送り込んでいる。

悲しみのアンジー


ザ・ローリング・ストーンズ幻の来日となってしまった1973年に発売された第14作『羊の頭のスープ(Goats Head Soup)』からの先行シングルとなった彼らの傑作バラードの1つ。7作目(バラードとしては2作目)の全米1位(全英5位)を記録。当時、このタイトルがデヴィット・ボウィーの前妻アンジェラのことではないかということで話題になった。









Bailamos 2000 20001122日 / Polydor : UPBH-1012JRX-8017~8

IntroductionUpside Down(Vamos A Bailar)(ジプシー・キングス:1987)、Sunshine Day(オシビサ:1976)、Black Magic Woman(フリートウッド・マック:1969)、BailamosRemix Ver.エンリケ・リグエシアス:1999)、MakingLive Rehersalヤングマン(Y.M.C.A.) (ヴィレッジ・ピープル:1978)~情熱の嵐~ヤングマン(Y.M.C.A.) ジェラシー、悲しき友情、ジプシー、決起大会模様最後の愛、ラストシーン、眠れぬ夜(オフコース:1975)、愛の十字架、サンタマリアの祈り、MakingLove Torture★⑭ギャランドゥ(Remix Ver.)、激しい恋、ブーメランストリート、傷だらけのローラ、いくつもの星が流れMakingLove Torture~-Part2~Bailamos(Encor)Rain of Dream~夢の罪、㉑ナイトゲーム(グラハム・ボネット:1981Ending


(サポート・メンバー)

Gt.:吉野藤丸、黒田英雄、B.:長岡道夫、Key.:塩入俊哉、Dr.:鎌田清、Per.:木村誠、
Sax:竹上良成、Cho.:Milk(宮島律子、永井理絵)



 この作品は2000331日に開催されたヒデキ80枚目のシングル<Bailamos>の発売記念を兼ねた、東京・新宿厚生金会館におけるスペシャル・ライヴだ。


派手な演出で沸かせるのではなく、実力派ミュージシャンを揃えじっくり歌を聴かせるスタイルに、ヒデキのパフォーマンスにかける意気込みが伝わってくる。
ここでのセット・リストは彼にとって思い入れの深いナンバーや、エスニック系のカヴァーが並び、これまでのライヴの集大成的な雰囲気が漂ってくる。



参考:カヴァー収録曲について

 
Vamos A Bailar

 キリンビール淡麗CMに起用された<Volare>でお馴染みのフランスのラテン・ロック・グループ、ジプシー・キングス。彼らが1989年に発表した第6作シングルで全米ラテン・チャート3位を記録。第4作『Mosaique』に収録されている。


Sunshine Day


1969年にガーナ出身のテディ・オセイを中心にアフリカ系ミュージシャンで結成されたアフロ・ロック・バンド、オシビサ。彼らが1975年に発表した第6作『Welcome Home』に収録された通算10作目のシングル。全英でスマッシュ・ヒットを記録した代表曲のひとつ。1997年にはファンカラティーナを代表するユニット、マット・ビアンコが第7作『World Go Round』でカヴァー。彼ら20作目のシングルとして全米ダンス・チャートを賑わしている。


Black Magic Woman


ピーター・グリーンが率いたブルース・ロック・バンド時代のフリートウッド・マックがサード・シングルとして発表。その後、1970年にサンタナがセカンド・アルバム『天の守護神(Abraxas)』でカヴァー。カルロス・サンタナの官能的なギターを前面に打ち出したこのヴァージョンは、シングル・カットされ全米4位の大ヒットを記録。バンドの人気を世界的レベルに押し上げた。


Bailamos


フリオ・イグレシアスの次男エンリケ・イグレシアスの第14作シングルで代表作。本国スペインチャートを制覇し、全米1位、全英4位を記録。彼が世界に飛躍するきっかけとなった第4作『Enrque』に収録されている。





 補足になるが、この『ブロウアップ ヒデキ』は6月2日10:00と14日19:30、そして『Bailamos 2000』は142100からWOWOWで再放送されるので、このデータを参考にしていただければ幸いだ。なお今回放映された作品を含め、彼には9作の映像作品がある。またこれら以外にもスペシャル番組でのライヴも何回となく放映されている。WOWOWでも1990年代に一度彼のライヴが放映されたことがあった。そこでは<青春に賭けよう>をアカペラで歌っていたと記憶する。それは1996年に発表された盟友吉野藤丸がアレンジを担当したセルフカヴァー・アルバム『LIFE WORK』に収録されたヴァージョンのようだった。可能であれば、これらについても再放映を期待してやまない。
(鈴木英之)

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