2018年1月10日水曜日

佐野邦彦氏との回想録7・鈴木英之

あけましておめでとうございます。
今年もWeb.VANDAをよろしくお願いします。
平成年号最後となる2018年第一回目の投稿は、佐野さんが肝いりで大プッシュしていたNeil Sedakaなどが掲載されたVANDA22でのやりとりを回想してみたいと思います。

まずVANDA21が届き、そこにはさまれた手紙には「ソフト・ロックA To Z」単行本出版のことと、「今後も流行に関係なく「いい音楽を紹介する」というスタンスを守って地道にやっていきたい」とあり、末尾には前回同様「次回締め切りは410日です」とあった。


このメッセージを受け、私は連載を始めた「Music Note」の1971年に早速取り掛かることにした。そんな中、佐野さんから興奮気味に「次回でNeil Sadakaを組みます。特に1970年代は凄く良いですよ!」とかなり熱い連絡が入った。私は’71年の「Superbird」以降リアルに聴いていたので、「Rocket時代の『Steppin’ Out』はいい曲結構ありますよね。
特に「Bad And Beautiful」「Summer Night」なんか」と切り出し、そして「’75の「悲しき慕情(Breaking Up Is Hard To Do)」の焼き直しは、’74年に出た『(DavidCassidy Live!』のテイクが元ネタだと思いません?」まで発展した。さらに「Captain & Tennilleがカヴァーして大ヒットした「愛ある限り(LoveWill Keep Us Together)」のオリジナルのバックは10㏄が演奏してますよね」といったかなりコアな話にまで及んでいった。ただ私は当時の音源を全部持っているわけではないので、手持ちに無い音源の話をされると、まごついてしまうこともしばしばだった。そんな時は彼が入手したLPをダビングしたカセットが次々に送付されてきた。


そんな経緯で佐野さんのSedaka研究に付き合うようになり、英米では収録曲が違うLPがいくつか存在することを初めて知り、改めて彼の研究熱心さに敬服した。
そんなある時、「Sedakaが再ブレイクした時期は、1960年代初期に一斉風靡したPaul Anka Frankie VarriRightous Brothersなんかもカム・バックしてましたよね。」という話に繋がり、そこでは彼お得意のFour Seasonsの話に広がり、まだ一度もあった事のない同志のとは思えないほど会話は弾む一方だった。すると、佐野さんから「そこまでご存知なら、鈴木さんも1970年代のPaul Anka書けませんか?」とリクエストされた。佐野さんのSedakaに対する思い入れが半端でなかったので、成り行き上Paul Ankaを書くことを安易に承諾したが、電話を切ったあとその安請けあいを後悔することになったが後の祭りだった。


ということで、22にも2本書くことになってしまい、とりあえず音源のチェックをすることにしたが、前回同様コラムをまとめるには音源不足は明らかで、前回同様京都・大阪へ探索ツアーとなった。ただ私がまとめようとする対象はプレミアもつかないようなありふれたものでああるものの絶対数が少なく、ゲットできたのは大阪のForeverで『Wake A Fine Line(マイ・ソングス~朝のとばりの中で)』のみだった。

とはいえひとつのことに集中できない私はせっかく遠出するのだからと、余計な音源にも手をのばし、当時王様が流行らせていた「直訳ロック」の元ネタとなった1970年代の日本語訳詞盤も買いあさっていた。そんななか、原稿の進行具合を問い合わせてきた佐野さんにForeverで「Questions 67&68(日本語版)」を見つけた話をすると、彼も興味があるようで即Foreverにオーダーをかけ、しばらくはこの話でもちきりとなった。

  当時は、Policeの「De Do Do Do,De Da Da Da」やMarliyn McCoo&Billy Davis Jr.の「星空の二人(You Don’t Have To Be A Star)」の日本語詞盤を入手したばかりだったので、自分の所持している音源をありったけダビングして佐野さんに送った。それが届くと即座に彼から連絡が入り、「鈴木さん、このネタ面白いよ!これもまとめてみてはどうですか?」と要請され、これまた佐野さんにのせられるように引き受けてしまった。
それにしても、VANDAには(締切厳守の)充実した作家陣が控えているのに、佐野さんは(内容はともかく)常に締切が危うい私に、よく3つもコラムを依頼したものだと感心してしまった。
そんな流れでコラムを3つ引き受けてしまったが、締切超過傾向癖だけは何とか回避しなければと、焦りながら音源収集に精を出していた。ただ思うように音源が集まらず内容が進行せず悶々とした日々が過ぎていった。
しばらくすると、関西方面から名古屋に足を延ばすようになった。
そこで偶然にも1982年に娘のDara SedakaがDavid FosterのプロデュースでリリースしたセカンドLP『ガール・フレンド(I'm Your Girl Friend)』(松本零士映画作品『1000年女王』の主題歌「星空のエンジェル・クィーン(Angel Queen)」を収録)を発見した。そのLPは即座に購入したが、私が持っているよりも佐野さんが持っていた方が価値があると思い、そのまま彼にプレゼントした。そこから1980年に父娘デュエット「面影は永遠に(Should’ve Never Let You Go)」が全米21位のヒットとなりSedakaの『In The Pocket』に収録されていたことを思い出し、佐野さんに連絡するも彼は収集済みの情報だった。

  こんな寄り道をしながら、当時のことがかなりリアルに頭に浮かぶようになり、とりあえずPaul Ankaからまとめることにした。ただ佐野さんのようにすべてを把握して、詳細を細かく紹介していくには自信がなかったので、Ankaが何回も再録する名曲「愛のバラード(Do I Love You)」と個人的なフェイヴァリット・アルバム『孤独なペインター(The Painter)』(1976年;未CD化)、それに山下達郎氏の『Circus Town』(1976年)A面と参加ミュージシャンが共通する1977年の『Music Man』など個人的に思い入れの強い作品を中心にまとめることにした。ということで、現在は名盤の誉れ高い『Wake A Fine Line』(1983年)については、AORとしては好盤であってもAnkaの存在感が薄く思えたので、軽い扱いにおさえた。こんなポイントで勢いだけで一気にまとめあげ、珍しく締め切り前の3月中に原稿は完成した。

第一関門をクリアし、次に取り掛かったものが「Music Note ‘71」だった。この年は新年からチャート番組にどっぷりつかり始め、夏には木目の美しい家具調の(今は消滅した)Sansui製ステレオを購入してもらい、こつこつとレコード収集に邁進しはじめた時期とも重なり、印象が強くネタには困らなかった。ちなみにステレオは、The Beatles(以下、B4)が新聞広告やT.V.CMに登場していた東芝IC Bostonが欲しかったが、電気店の勧めでこちらに落ち着いた。なおこのステレオは当時一世を風靡した4チャンネル・ステレオ(SQ4)で、このシステムで聴いた『天の守護神(ABRAXAS)/Santana』のサラウンド感は今も忘れられないほど感動ものだった。



第一関門をクリアし、次に取り掛かったものが「Music Note ‘71」だった。この年は新年からチャート番組にどっぷりつかり始め、夏には木目の美しい家具調の(今は消滅した)Sansui製ステレオを購入してもらい、こつこつとレコード収集に邁進しはじめた時期とも重なり、印象が強くネタには困らなかった。ちなみにステレオは、The Beatles(以下、B4)が新聞広告やT.V.CMに登場していた東芝IC Bostonが欲しかったが、電気店の勧めでこちらに落ち着いた。なおこのステレオは当時一世を風靡した4チャンネル・ステレオ(SQ4)で、このシステムで聴いた『天の守護神(ABRAXAS)/Santana』のサラウンド感は今も忘れられないほど感動ものだった。

 話はコラムに戻るが、この年は書きたいことだらけだったのでジャンル分けしてまとめることにし、<スクリーン関係><ビッグ・ネーム><’60年代物><ヨーロッパ・ヒット><ロック関連><ポップス><アメリカン・ポップ><アイドル>の8項目とした。なおこの年10月には、初めてロック・コンサート(Led Zeppelin)に足を運んだこともあり<ロック関連>に力が入った。内容については、元々この年から始めたいと思っていたほど自信があったので、一気に書きまくり、これまでまとめた中では一番スムースに完成した。完成直後、佐野さんに毎週「サザエさん」でB4CM(『Let It Be』のルーフ・トップ・コンサート映像)を放映していたことを話すも、残念ながら彼はあまり印象に無かったようだった。


そして、ロック・ミュージシャンが日本語で歌った曲の特集「EJ Songs」残すのみとなった。このコラムは佐野さんが特に楽しみにしていたものだったので、周りの知人たちに当時のことを確認しながら進めることにした。まず、当時の会社後輩Ka君に尋ねると「やっぱりScorpionsの「荒城の月」ですよ、確か「君が代」も演奏していたはず。」、旧勤務先で音楽評論家となった後輩Ko君は「Chicagoの「Lowdown」は日本語にしようか、英語にしようか迷いました。」、昔の部下U嬢は「Three Degreesの「にがい涙」は「夜のヒット・スタジオ」で見ました!」など興味深い話が色々と聞けた。
佐野さんは私が録音して渡した中の「星空の二人(You Dion’t Have To Be A Star)」(「ふたりの誓い(Two Of Us)」B)がお気に入りで、「日本語で歌われている唯一の全米No.1ソング」が口癖だった。

   このように予想以上の反応に、あっという間にまとめ上げた。ただ、寸評としてまとめるよりも本音の会話風にしたら面白いのではないかと思い、筒井康隆氏の『笑うな ショート・ショート集』(1975年)をモチーフに、飲み屋での雑談風にまとめてみた。そのまとめ上げた手法は、当時のことや音楽に興味のない同僚たちには大受けだったが、真面目な佐野さんからは「ちょっとふざけすぎ」とストップがかかり、普通の解説書に戻し入稿した。余談ながら、この会話手法は後にオファーを受けた『林哲司全仕事』の中で活用し、内容については地元のチューバ奏者S氏の番組「Boss Junアワー」(まりんぱる/FM清水)にゲスト出演し、2週(2時間)に渡って特集を組み放送させていただいた。


こんな経緯で悪戦苦闘した今回の原稿は、二週間ほど遅延してしまったが、どうにか無事仕上げることが出来た。その後に送付されたVANDA 22には「VANDA2冊目の単行本「Beach Boys Complete」が出版されます。」とメモがはさまれており、以前この本をまとめる際に山下達郎氏ご本人から、内容について直接電話があったという話を思い出した。

 また末筆には、「今回は特に多くの原稿をお書きいただき、ありがとうございました。」とあり安堵したが、「次回の締め切りは10/10です。」と編集長としての一言も忘れてなかった。なお、佐野さんが精魂込めてまとめたNeil Sedakaは1999年に来日し全国8ヶ所9公演の日本ツアーを敢行している。ただ、この公演でのレパートリーはほとんど1960年代のオールディーズが中心で、残念な事に佐野さんが力説した1970年代のナンバーはまばらで、公演に足を運んだ彼は落胆されていた事実を加えておく。 

2018192200

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