2017年10月14日土曜日

与論島では本名で呼び合わず、生まれた時に父方・母方の祖父母から自動的にもらったヤーナー(童名)でずっと呼び合う。役場の職員もヤーナーで。素敵な習俗だ。


与論島には素晴らしい文化があるので紹介しよう。沖縄本島ではヤーナー(童名)は名付けられても使い道がなく廃れているが、与論島では本名は呼ばずにみな大人になってもヤーナー(童名)で呼ぶのが当たり前、長男・長女だったら父方の祖父・祖母のヤーナーをそのまま、二男・二女だったら母方の祖父・祖母のヤーナーをそのままもらって、家族はそのヤーナーでしか呼ばない。友人・知人もだ。だから家族が多ければ同じヤーナーが何人も被るのだがそんなのは関係ない。先祖のヤーナーの誇りを抱いているので愛着がある。幼稚園でも本名とヤーナーは必ず一緒に書かれていて幼児はみな自分の名前は二つあると知っている。インタビューアーが「おじさんには名前がひとつしかない」と言ったら幼稚園児にみな驚かれていた。さらに驚いたことに与論町役場の上司まで職員はヤーナーの「ジャーヤカさん」と呼んでいて、インタビューアーがこの方の本名は?と聞いたら誰も答えられなかった。役場の中の話であるから特に凄い。沖縄の風習でこのヤーナーが最も好き。ちなみに与論は沖縄本島から22㎞ですぐ近くても鹿児島県。でも琉球文化圏だ。これらはNHKの番組「日本人のお名前っ」で紹介された。

次の「屋号」は①同じ苗字の家ばかりなので、昔、その家の特徴で決められた。赤い木が生えたいたから「赤木」のように。苗字はみな同じなので例えばサトウキビの刈順の表は屋号で掲載され、屋号の方が大事という。②苗字は別々でも先代の職業が屋号になる集落もある。同じブリキ屋でも鎌や鍬を作っていれば「カンザイクヌヤー」、ジョロとか作っていれば「ブリキーヤ」というように。③先祖の宗教儀式の「神人」での役割で屋号が決まっている集落がある。ひしゃくで水をあげる人はひしゃくを意味する「ニブヤー」となり、今でも役目はあり先祖の誇りを感じるとか。

沖縄で最も定着しているのは「門中」だろう。昔、中国との交易で中国風の名前が必要だったので「唐名(からな)」を決めたという。例えば「麻」のように。苗字はバラバラでも「麻」の門中の一族で結束は非常に硬い。漁師の町で知られる糸満で、沖縄伝統の船の競争のハーレーは門中単位で行われるので門中ごと同じTシャツを着て一体感を深めていた。門中とは「始祖と同じとする父方の血族一縁」を言うのだ。この番組とは別に、宮古島と橋でつながる池間島では3つの「ムトウ」と呼ばれる門中があり、島の人間はこの3つのどれかに属しているという。自分が読んだ記憶では60歳になった男性は、それぞれの「ムトウ」の集会所というか家があり、そこで長期間共同生活を送り、女性は食べ物を届けるだけで、同じ門中の仲間どうしで親交を深めるのだそうだ。しかし今は池間島も移住者が増え、移住者のための4つ目のムトウができたのだとか。新参者は先祖伝来のムトウには決して入れないという伝統が伝わってくる。しかしこのある意味厳しい門中だが、糸満の門中はこのハーリーの集まりで、同じ門中の遥か年上のおじーなどと交流が出来て、つながりは家族だけでないと実感できてとても嬉しいと語っていた。

このようにとても祖先を大事にする沖縄では、結婚式も葬式も数百人単位、そして家の位牌であるトートーメーを守るのは長男と決まっていて、長男は他の子より昔から特別扱いを受ける。今は法律があるので遺産分割できるが、古代より「長男総取り文化」が続き、長男が親の面倒を見て墓守もするからということでみな許容してきた。ただ長男はトートーメーがあるので沖縄から離れることはできないなど、制約を受け自由がない。いい事も悪い事もあるので、沖縄の習俗が羨ましいとは言えないだろう。でも自分は「家」への帰属意識は失うべきではないと思うし、これからの少子化に合わせて、実家の二子玉川にあるお墓には弟一家も入れるように訪ねお寺には問題ないと言われ弟に伝えてある。(弟の家は娘1人だ)もちろん自分の息子二人も共同で使う。長男だけで使う墓などいずれ継承が困難になるのは必須。祖父は自分が墓を作った時は瀬田の高台にあるので多摩川が見え、それで決めたと聞いたけど、今は建物がたくさん建って多摩川は見えないなあ。多摩川の花火大会は見えるけど、夜お寺には入れないから、すぐ近くの玉川教会の敷地内で見たけど、蚊に刺されまくってそれ以来行っていない。10mくらい手前に巨人の藤田監督のお墓と、その隣に主がいない原前監督のお墓がある。よっぽと慕っているんだねえ。(佐野邦彦)


0 件のコメント:

コメントを投稿