2017年6月12日月曜日

☆稲垣吾郎の『ゴロウデラックス』に新保信長さんが登場する。東大出のフリー編集者の新保さん、私は『SPA!』時代に取材を受けそれ以来だが、『国歌斉唱』という本が面白い。


『ゴロウデラックス』という深夜番組をご存知だろうか?TBS木曜深夜0:58(つまり金曜)の30分番組で、元SMAPの稲垣吾郎が話題の図書の著者を呼んで、朗読なども交えながらその本や人となりを解明していく番組だ。『クレイジージャーニー』に続く番組なのでいつも見ていたが次回616日の予告を見て驚いた。「新保信長『字が汚い!』」…え?この名前はあの新保さん?「信長」なんていう人は他にいない。さっそくamazonで調べたら最新刊で現在売り切れ、これじゃ本放送に間に合わない…でも紹介しとかなくちゃということで、本をまだ読んでいないのに、オススメすることにした。新保さんは、東大出の流しのフリー編集者・ライターである。お会いしたのは20年以上前、とり・みきさんのマンガのレギュラーであるたきたかんせいさんが勤めていた下北沢の「ブックスおりーぶ」という小さな書店だった。その頃、時々遊びに行っていたのだが、そこで紹介された。新保さんは「SPA!」の編集者をされていて、マンガに詳しいので私が80年代に10年間やっていた「漫画の手帖」というミニコミを愛読されていたらしく私の事を知っておられた。その頃、私は舞台をマンガから音楽に移して「VANDA」を作っていたのだが、どういう全体のコンセプトか忘れたが、「サラリーマンが趣味でこんなミニコミを作っている」という取材を受け、三軒茶屋の三角地帯のどこかで写真を撮ってそのインタビュー記事は「SPA!」に掲載された。その雑誌は自宅のどこにあるか分かっているのだが、妻に出してもらうのが大変なので止めた。その後、新保さんはフリーになり、はじめての単行本『消えたマンガ雑誌』(メディアファクトリー)を出し、その中で1Pを使って『幻のマンガ研究ミニコミ誌「漫画の手帖」よ、よみがえれ!』というコラムを書いていただいて、自分が編集していた「漫画の手帖」を大変褒めていただいた。この本には①消えた少年マンガ誌として「少年キング」「少年アクション」「少年宝島」や一時期は先進的で大人気だった「コミコミ」②マンガマニアの自分達が最も夢中になったニューウェーブマンガ家達によるSFマンガ誌の「マンガ少年」「マンガ奇想天外」「少年少女SFマンガ競作大全集」「リュウ」「DUO」「スーパーアクション」「漫金超」「コミックアゲイン」「Peke」③先進的な少女月刊誌の「リリカ」「コミック・モエ」、④自販機本ながら亀和田武が編集長、吾妻ひでおなどが連載し、入手が大変だったエロマンガ誌「劇画アリス」などもう今見ると懐かしい雑誌ばかりで、この時代を経てきたマンガファンは見るだけで涙もの。特に②はほとんど買っていた。

その後、私は音楽に完全にシフトチェンジしたので、新保さんとの接点は無くなるが、年賀状のやり取りだけは20年以上ずっと続いていた。とても律儀な方だと分かるだろう。「ゴロウデラックス」の出演を知ってamazonで新保さんの本を見るとメディアファクトリーなどから4大紙のオバカニュースを集めた「笑う新聞」「もっと笑う新聞」「言い訳するな!」シリーズ、新保さんのアイデンティティ―というべき「タイガースファンという生き方」「東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか」があり、最新刊の『字が汚い!』が入手できないのでその前の「国家斉唱」(河出書房新社)を読んだ。読んでみたらなかなか興味深かったのでこの機会に紹介しておこう。

この本は「君が代」に対して右翼にも左翼の立場にも立たず、世界の国歌はいったいどんな内容の歌詞を歌っていて、国際大会、通常の国内、卒業式などでどのように扱われているかが詳しく語られる。かなり共通しているのは、歴史ある国歌ほど、古臭い単語を使っていて若い人には覚えにくいこと。「君が代」も含め国歌とはそういうものらしい。これ、国際大会で歌っていいのかよという「奴らの薄汚い血の雨を降らせろ」と歌うフランス国歌の「ラ・マルセイユーズ」は賛否がずっとあるらしい。こういう攻撃的な歌詞の国歌は共産圏の中国、キューバがあり、筆者はこのカテゴライズにしていないがタイもかなり強烈だ。アメリカ国歌も国への忠誠が強い。歌詞の内容が変わったのがロシア。ソ連時代の曲の歌詞を変え、「神に守られたふるさとの大地」とあるのがソ連と決定的に違っていた。戦争に負けて1番が歌えなくなり3番を歌っているドイツもある。モザイク国家でかつフランコ政権時代の負の遺産があるので未だに歌詞が決定していない。スペインとサッカーで何度も戦った南米コロンビアは、歌詞の3番で、『…「スペイン王には従わない」その信念はみんなの心に響きわたってた』と、かつて侵略者として散々ひどい目にあわされたスペインに対する怒りが入っているが、その他の南米の国歌にも入っているかもしれない。同じスペイン語なので面と向かって歌われるとスペイン人は嫌だろうが、3番まで歌われることはないな。同じく白人に奴隷にされたガーナ、カメルーンというアフリカ2か国はそういう恨みみたいな部分は歌詞にない。イタリア、エジプトは悠久の歴史を感じさせるもの。新しい国のイスラエルも2000年前からの約束の地というユダヤ民族のアイデンティティを歌う。面白いのはチェコで、チェコスロヴァキアは2つの国の国歌を無理やりつなげた歌だったので国が分裂したとともに国歌も分裂し、半分になった。スウェーデン国歌で歌われるのは北欧の素晴らしさで、具体的にスウェ―デンは出てこない。「君が代」は「君」が何を指すのかということで左翼系が問題視する訳だが、戦後憲法で「天皇」は「象徴」であって「元首」でないので戦前になぞらえるのはおかしいところ。ただ象徴としての天皇陛下がいるのだから、女王を称えるイギリス国歌と近い路線とこの本ではカテゴライズされた。自分は「君が代」が好きなのだが、その歌詞ではなくメロディとサウンドである。ほぼ100%、西洋の音階で作られている外国の国歌に対して、日本だけ明らかに違う。これは素晴らしいといつも思っている。世の中には天の邪鬼というかイチャモンを付ける人がいるもので歌詞の「…さざれ石の巌となりて…」はあり得ずこういう歌詞はおかしいなんて書いている人がいたが、韓国の国歌では「東海(=日本海)と白頭山が干上がったりすり減ってなくなったりするくらいまでも神様が私達を守ってくれる…」と何やら似た構造の歌詞から始まるのが面白い。反日が作法という韓国だが、どこか日本に似てしまうのはメンタリティが似ているのだろう。最後は「君が代」に対する色々な地方紙の日本国内の新聞の論調まで山ほど転載しながら、新保さんは「もう何だかんだ言っても国歌は「君が代」でいいと私は思う。今さら変えようがないし、変えてもロクなことにならない」と、ユルーく支持している。海外じゃ国によって即起立!みたいな国があれば、ゆるゆるの国もあって、政府の「国際社会の常識」というのは必ずも当たっていないのが分かったし。(佐野邦彦)


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