2017年4月27日木曜日

☆「ハイン地の果ての祭典」(新評論)を読んで、白人に滅ぼされた異文化の先進的デザインを知ろう。


寺田正典さんの紹介を見て、私が昔から大好きで追っていた南米最南端(パタゴニア。南極に近いので寒冷地)に住む奇怪なペイントと仮面に身を包んだヤーガン族についてまとめたおそらく日本で初めての書籍「ハイン地の果ての祭典」(新評論)を購入し、現在の入院中に読んだ。すると今まで色々なまとめサイトみたいなところの記事は違っていて、この奇怪は姿は「ハイン」という神聖な儀式の時のハレの姿であり、それぞれ役割があって名前もあった。そして「ヤーガン族」というのは大きなフエゴ島の最南端の海の近くに住む「ヤマナ族」のことでカヌーを使う海の民(もう一つ海の民には「アラカイフ族」もいた)だった。しかし今までその「ヤーガン族」として紹介されてきたこれらの多数の写真は島の北に住む陸の民「セルクナム族」の1923年の「ハイン」で撮影された写真であり、島には隣に他に山の民の「セルシュ族」も住んでいた。彼らは約12000年前にユーラシアからアメリカ大陸を縦断し、南の突端まで旅した民族だった。1980年頃にセルクナム、ハウシュでおおよそ3500人から4000人いて、もっと少数のヤマナ族もいたが、アルゼンチンとチリに分割され、アルゼンチン政府の許可で金鉱探索者や羊用の広大な牧草地を手に入れるためヨーロッパ人達は彼らを虐殺し始めた。殺された者、強制移住させられた者、そして最も多く死んだと思われたのはヨーロッパ人達が持ち込んだはしかなどの疫病で免疫のない彼らはバタバタと死に、1923年には500人程度に激減してしまった。勝手に食人種扱いされ、フランスに見世物として売られて行ったものもいた。夏に平均10度、冬は1.5度でマイナス20度の日もありさらに常にパタゴニア独特の強風が吹きつける厳しい環境で、裸にグアナコという草食獣の毛皮を巻いただけの彼らに対し(彼らは家では薪が必需品で素早く裸になって暖を取れる利点があった。ただし尋常ならざる新陳代謝を獲得していた)、ダーウィンは「ビーグル号探検記」で彼らの事を「彼らが自分の同類、仲間とは信じられない。下等動物が味わう楽しみとはどんなものか」と書き、キャプテン・クックも「世界で一番悲惨な人間」と蔑んだ。そうしてヨーロッパ人達は土地を収奪し、男たちは牧童として働かされ、わずかに生き残った500人でこの「ヤマナ」が行われた。全世界を我が物にしようとした白人達は南米ではスペイン人を筆頭にポルトガル人、ドイツ人、アフリカや中近東、インド、アジアではイギリス人、フランス人を中心にオランダ人、イタリア人、ポルトガル人、ドイツ人など、白人どもは暴虐の限りを尽くし、土地を収奪し、先住民を奴隷にし、逆らう者は野蛮人として、サファリのように動物として平気で殺した。ただそういう悪党の白人の中でも一部には心ある人がいて、ここではドイツ人宣教師が彼らの文化を守り残そうとし1923年に行われたセルクナム族の「ハイン」の写真と文が残されたのだ。1933年にはさらに人が減ってその時が最後の開催になってしまうのだが、その中では最も盛大な「ハイン」が記録で残されたのである。さて、この「ハイン」の事を書き出すと、要は本書1冊を紹介することになるので、それは興味のある人が買って読んで欲しい。「ハイン」には神話があり最初は女たちが男たちを支配するために行われていた秘祭だったという。しかしそのカラクリがバレて女たちは皆殺しにされ、男たちによる秘祭に変わった。この事は女たちには他言禁止で言ったらシャーマンに呪い殺されると厳しく言い聞かせれた。よってこれらの「ハイン」に登場する様々な奇怪な精霊たちの正体はみな男であり、獣脂と赤と白の粘土を裸体に塗り、一部黒炭の黒も使うが、これらの写真で「黒」に見える部分は「赤」だと思って見て欲しい。「ハイン」の間、男達はハイン小屋で女子供は別の場所にいた。男達はボディペインティングをして、精霊によっては革でお面を作って被った。ハイン小屋が作られそこには方角ごとに7人のボディペインティングに覆われたショールトがいた。初めてこの儀式に参加するクロテケンと呼ばれる少年達はショールト達に小屋で襲われ性器を強く引っ張られるなどの拷問を受けるなどの通過儀礼の後に、ショールトの正体を明かされ、女子供には決してこの儀式の事を漏らしてはならないという事から、一人前の猟師になったならば、獲物は20切れほどに分けてその場にいる全員に分け与え自分は最後に残ったものを取る事、その自制心が大事である。そうすれば自分が年老いた時に同じようにしてもらえるだろう。年寄りを敬い、病寂な者に思いやりを持つこと、後に自分がそうなった時に若者達が同様の敬意を持つであろう。全ての女は母であり、年老いても敬うこと。自分は大食いをせず肥満にならないで良き狩人になること、そして妻は太っている方が良い、それは夫が良き狩人である証だからだ。食べ物や快適さにこだわらない、友人に寛容であれ、頼まれなくても働く事、人様の役に立つことという、男としての規範を教え込まれる。非常に優れた教えだ。ただし侮辱は許してはいけない。家族や同族の物であっても必ず報復することという事も教え込まれる。ショールトは女子供の家へ行き、驚させ、家を破壊し、子供も叩き、恐怖を当たえる。そしてサルペンという女の巨大な精霊(もちろん男が担当。6mもあり裸の男たちが動きをサポートする)は少年のクロテケンを犯そう外で叫び声が聞こえ、犠牲になったクロテケンが数名、男たちに担がれて小屋の舞台に放り込まれる。そこではクロテケンはサルペンの子を身ごもらせたことになっていて、殺されたクロテケン、それは彼女らの息子なのだが、そこから臓物を引き出され血が溢れる。これはもちろん儀式で死んだふりをしているだけで、内臓や血はグアナコのものを使っただけだが、女たちは心から嘆き悲しむ。後に女には見えない(見せない)小さな精霊でクロテケンは復活するのだ。さて、クロテケンの大量虐殺劇の翌日にはサルペンの子供のクテルネンが生まれる。体の前面にブツブツのようなものあり最も怪奇な精霊だが、このブツブツのようものは白い綿毛で丈夫なグアナコの神経線維でつないだ。クテルネンはクロテケンの中でもほっそりとした一番小さく女に似たものがこの役を担った。ほとんど動けないクテルネンにはサポート役に2人の重鎮が付き、女たちは自分達のクロテネンが生んだ精霊だと狂喜していたという。復活までにはこういう儀式もあったのだ。他には角がある道化師として反サルペン派の精霊ハラハチェスがいて、サルペンの覇権を奪おうとする能力があるので、女たちを面白がらさせていたが、後にハラハチェスは捕虜を連れてきて殴打する振りをして捕虜を殺していく(ふり)。女たちは悲鳴を上げ、ハラハチェスに対して用意していた雪玉や泥玉を雨あられあのように降らせるが、捕虜の「死体」を外に置いて勝ち誇ったようにハイン小屋へ帰っていく。ケムール人のようなお面をかぶった2人は寝取られ亭主役のコシュメンクだ。ハイン小屋で妻が情事を楽しんでいるとコシュメンクは反狂乱になってハイン小屋の回りを飛び歩く。女達は遠くから大喜びでこの数時間も続くコシュメンクの大暴れを楽しんでいた。なおケムール人に最も似ているのはクランという役のどの天ともつながりのない女の精霊(もちろん男、ただし乳房を革の袋で作って少し膨らませてあり、陰部は覆って隠し女のような体つきだった。クランは情夫たちを一週間以上留め置き、男たちは帰ってくると頭は皇帝ペンギンの糞まみれになっていて、その間の事は何も覚えていない(ことになっている)。当然ひどい女として女達からは嫌われているが、写真がなくイラストだけが残され、それはチリの切手にもなっているが見るとこれがケムール人に相当近い。ウレンは島の北東部の精霊で、最も優雅ないたずら者としてハイン小屋にいて、男がハイン小屋の近くへ女子供を案内するとひょっこり現れ、その移動速度の素早さに驚嘆したという。ただこの精霊の意味は、北東部の男の大半が殺されるか疫病で死に、楽しませる存在というととしか分からなかった。最後は大きなクラゲのような全身の被り物をしたタヌだ。グアナコの皮などを使い高さもあうのでとても高さのある精霊で、そのためとても重くゆっくりとしか動けず転倒しないよう長老が付いた、4人のタヌがいるそうだが、その存在には諸説あるので謎の、しかし害のない精霊ということになっている。さてこれ以外にもまだ精霊がいて、長期間の行われる「ハイン」だが人口の減少で1933年を最後に出来なくなってしまう。こういう男子の秘密結社で行われる儀式はアフリカやパプアニューギニア、沖縄の八重山でのアカマタ・クロマタ、宮古島のパーントゥ・プナハなどでひっそりと続けられていて、女子供を驚かせるのはほぼ共通、部族間で死者がでると犯人ではない相手の部族の人間を害するペイ・バックの風習(今はパプアニューギニアでは法律で禁じられてはいるが…)がある場所もあり、八重山のアカマタ・クロマタは他の原始的な祭りと同様、祭りの中で生と死の再生が行われて感動の祭りになっていた。現在も行われている4島(というか4島の中のたった1部落)では日程も秘密、若い衆が道にたって部外者を近づけないように封鎖、ある島は人口が10人ちょっとなので祭りの期間は島出身者以外渡航も禁止するところもあり、唯一、部外者でも見に行ける島でも(ガイドブックには祭りの存在すら載っていないので役所などに問い合わせで調べるしかない)、「撮影・録画・携帯絶対禁止!」と至るところに看板があり、盗撮でもしようものならある島ではテレビカメラごと海に叩き込まれた、半殺しになったなどのニュースが出たほどなので、そんな勇気は誰も持てないだろう。ただし前も書いたがその儀式の神はジャングルがある島ならではの草装神で巨大で幻想的、日本にも沖縄にもない音階のコール&レスポンスのもの凄い歌と踊りで、最後は自然と涙がこぼれるほどの感動だった。「ウルトラマン」のスタッフには沖縄出身者がいてこのアカマタ・クロマタをモチーフにしてガラモンが出来たと言われている(滑稽にデフォルメされているが)ので、同じスタッフが作った「ウルトラQ」のケムール人は前述のクランのイラストを見て思いついた可能性は十分にあるだろう。このフエゴ島の厳しい暮らしの中でどれだけこの「ハイン」が1年に1回だけの楽しみだったか、今の人には想像もできないだろう。ヨーロッパ人に命も文化を葬り去られたフエゴ島の先住民。父母がどちらも先住民という最後の純粋な血筋のヤーマン族の老人は1999年に亡くなり、この世から純粋なフエゴ島の民族は消え去った。(佐野邦彦)


 

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