2016年3月28日月曜日

Beach BoysのStudio Version「We Got Love」入りの『Holland』は、LPが5月、CDが6月に発売延期


以前紹介したアメリカのAcoustic Soundsによるビーチ・ボーイズのスタジオ・ヴァージョンの「We Got Love」入り『Holland』のSACD及び200gLP216日発売ということで待っていたのだが、いつまで経っても連絡がこないのでネット上で調べてみると、LP5月、CD6月発売に延期されていた。CD$30LP$40(「We Got Love」はEPの最後に収録)で、送料は2つ一緒だと$31で計$101と安くはない。バラバラで注文すると送料がかさむだけなので、6月まで待つしかなさそうだ。(日本のユニヴァーサルから4月にリリースされる『Holland』のCDには「We Got Love」は入っていないので、間違えて注文しないように)このAcoustic SoundsSACD180~200gLP及びハイレゾのパターンで、『Surfin’ Safari』から1985年の『The Beach Boys』までリリースされているが、まだこれから発売のものも本盤のように数点存在している。『Holland』のハイレゾは発売済で、「We Got Love」のスタジオ・ヴァージョンが最後のリフレインが多く50秒以上長い初登場ヴァージョンだったのは、既に紹介したとおりでマスト・バイ。このAcoustic SoundsLPにはMono盤とStereo(新規作成Stereo含む)盤があるのが売りで、『Holland』以外のLP$23(180g)$35(200g)で、EPがプラスされた『Holland』だけが$40になっている。ただこのAcoustic Sounds、日本ではamazon、タワー(売ったような痕跡はあるが発売前の相当前の日付で、さらに取扱終了とあるので販売していないと推測される)HMV、ディスクユニオンのどこも予約を取っていない。下記のURLから直接購入した方が良さそうだ。


なおこの中にSACD6月発売予定に『Sunflower(Stereo & Mono)』があるが、モノ盤は作られていないので、ここは気になるところ。まさかステレオを無理矢理モノミックス…じゃあないよね。(『Yellow Submarine』のモノLPがそうだった)。こういう限定販売のようなものは、日本の大手が取り扱ってくれてもとんでもない値段を付ける場合があるので要注意だ。例えばモンキーズのRhino Handmadeで今でも購入できる3枚組の『The Monkees(Super Deluxe Edition)』があるが、直でRhinoから買えば送料込$68.478000円で買える。ところがこれがHMVでは31741円、タワーで28933円と4倍近いぼったくり状態。輸入盤で高いものは、海外からの輸入価格と比較することが必須なので気を付けよう。話は変わって、ペットサウンズ50周年記念の2エディションが610日にリリースされるのは既にご承知だと思う。セコイ商売で、大元の『The Pet Sounds Sessions』の大半を使って、4CD+Blu-ray Audioの『Pet Sounds(50th Anniversary Collector’s Edition)』と2CDの『Pet Sounds(Deluxe Edition)』の2セットを作り、それぞれにライブ音源のディスクをプラスするなど、どちらも買わせようという魂胆だ。このライブは11曲ダブっているのに後者には68年アイオワでの「Sloop John B」、76年アナハイムの「Wouldn't It Be Nice」、2012年ロイヤル・アルバート・ホールの「Pet Sounds」「I Just Wasn’t Made For There Times」「Good Vibrations」のライブがプラスアルファされていて買わないといけないようにしてある。また前者のボックスには「I Know There’s An Answer(Vocal Session)」「Good Vibrations(Master Track With Partial Vocal)」の2トラックだけだが初登場で、うーんじゃあ買わないと。さらにこれは編集面だが元となる『The Pet Sounds Sessions』からヴォーカルオンリーは前者、オケは後者に振り分けるなど工夫していた。結局はどちらも自分のようなコレクターは入手しないといけない仕組みだ。(佐野邦彦)

2016年3月24日木曜日

ビーチ・ボーイズの初来日コンサートは1966年ではなく、その2年前の1964年に米軍キャンプで行われていた!


 皆さんご存じのとおり、ビーチ・ボーイズの初来日公演は1966年、ブライアン・ウィルソンの代わりにブルース・ジョンストンが参加して行われましたが、実は、今まで誰も言及していないので知られていませんが、1964年(※1963年説もあり。後述)に米軍キャンプに慰問で訪れ、コンサートをしていました。その模様を基地内で見ていた日本の方がいましたので、貴重な証言を伺ってみましょう。私の先輩である田中幸男さんが、その羨ましい体験をされた「証人」です。

Q:いつ、どこで行われたのでしょうか?

A:福岡の板付空軍基地の白木原ベースです。日本では「Surfin’ USA」のヒットで知られてきた頃です。あの事はベトナム戦争が激しくなってきた頃で、来日する多くのミュージシャンが米軍基地で慰問公演をしていました。場所はAirmens Clubです。米軍ベースには将校用のOfficers Clubと下士官用のNCO Clubもあるのですが、ビーチ・ボーイズと年齢が近いということで一般兵隊用のAirmens Clubになったのだと思います。

Q:どうやって見ることができたのですか?

A:当時高校生だった僕は、アメリカ人の友人に誘われてAirmens Clubのライブに見に行けました。もちろん慰問だからフリーです。

Q:公演の記憶はいかがですか。

A:当時の日本では曲が流行ってもバンドやメンバーに関する詳しい情報が手に入らなかったので、そのライブに誰がいたのかよく覚えていませんが、大きな男がギターを弾いていたのとボーカルが帽子を被っていたのを覚えています。後から思うとあの大男がブライアンで、帽子頭がマイクだったのでしょう。その他にも2~3人いたような。

Q:なるほど。まだビーチ・ボーイズのレコードが1964年まではリアルタイムでリリースされてもいないし、ヒット曲も分からない時でしたよね。その中で覚えていらっしゃるのは?

A:その時歌った曲で記憶しているのは大ヒットした「Surfin’ USA」の他には、アメリカで流行っていても日本では全然知られていない曲が多数あったはずで、僕で曲名が分かった曲は少ない。デル・シャノンの「Runaway」、チャック・ベリーの「Johnny B.Goode」、レイ・チャールズの「What’d I Say」まで歌っていました。

Q:公演時間とか服装はどうでしたか

A:3040分程度で曲数は覚えていません。ストライブのシャツだったような気もしますが、レコードのジャケットで見た後付けの知識かもしれません。

Q:ライブの印象はどうでしたか?

A:ライブで聴くとギターが思ったより下手だったり、PAが悪いのかボーカルの声が全然通らなかったり、レコードで聴くよりは出来が悪かったけど、それなりに楽しめました。

 

注:マイク・ラブのビルボード・ジャパンでのインタビューで、「1964年に来た時にホテルのロビーで日本の児童にひながなをおしえてもらったことを鮮明に覚えているよ」と言っていたので1964年としましたが、田中さんの当初の記憶は1963年でした。そしてマイクの「日本に初めて来た時の僕たちのジャンルは「エレキ・ギター」だった」という言葉、このAirmens Clubの曲目から推測されるのは、音楽的には1963年の方が有力かなと言う感じです。ちなみに「ザ・ビーチ・ボーイズ・ダイアリー」に1963年、1964年に米軍慰問で日本に行ったという記述はなく、1964年はスケジュールがぎっしり書かれていたので、隙間のある1963年の可能性が強い気がします。 (佐野邦彦)

2016年3月21日月曜日

中塚武 『EYE』(Delicatessen Recordings / P.S.C. / UVCA-3035)

  
 シンガー・ソングライターの中塚武が13年の『Lyrics』から3年振り、通算7作目のオリジナル・アルバムを3月16日にリリースした。
 98年にQYPTHONEでデビュー後ソロに転じ、CM音楽、テレビドラマや映画のサウンド・トラック制作のクリエイターとしてのめざましい活躍をしている彼であるが、その真骨頂はシンガー・ソングライターとしての姿にあると筆者は考えている。
 本作もソングライティングから編曲、オーケストレーションをはじめ、キーボードの演奏とプログラミングやヴォーカル、コーラスまで担当するというマルチ振りで、その独特な世界観を構築してジャンルの壁を軽々と飛び越えているのだ。

 13年の『Lyrics』リリース後同年7月に新鋭のビックバンド、イガバンBBとタッグとのコラボレーションで『Big Band Back Beat』をリリースと、この年の活動は目まぐるしく忙しかったに違いない。
 翌14年にも10周年を記念したオールタイム・ベスト『SWINGER SONG WRITER』を発表しており、シンガー・ソングライターとしてのソロ活動に一区切りをつけ、本作『EYE』で新たな中塚サウンドを模索していたのだろう。今月初頭に入手した音源を一聴して期待を上回るそのクオリティーに舌を巻いたのだが、例えるとベニー・シングスが手掛けたウーター・ヘメルの『Hamel』(07年)のサウンドを更にテクニカルに先鋭にしたといえばいいだろか。
 ゲスト・ミュージシャンとして、パーカッションに松岡 "matzz" 高廣(tres-men/quasimode)、ストリングスにNAOTO、ブラスセ・クションには本田雅人(sax)、佐々木史郎(trumpet)、エリック・ミヤシロ(trumpet)、Luis Valle(trumpet)、中川英二郎(trombone)、五十嵐誠(trom­bone)等々、現在の日本のジャズ界の実力派ミュージシャン達が集結している。

   

 アルバムは本作を象徴するリード・トラックの「JAPANESE BOY」から始まる。
 アタックの強いシンセとホーンのリフ、スキャット、ストリングスが目まぐるしくり乱れ、ハイブリッドなビックバンド・サウンドを展開する。中塚のヴォーカルも生歌とオートチューン?でエディットされたコーラスが見事に構成されており、とにかく圧倒される最先端のジャズ・ポップというべきだろう。
 続く「プリズム」は新主流派的な和声感にムーディーなラテン・ジャズのリズムを融合させて、90年代のアシッド・ジャズのテイストにも通じるクールなナンバーである。 
 弦楽四重奏のイントロから軽快に転回する「あの日、あのとき」のアレンジも面白い。途中ジミー・ウェッブが手掛けたフィフス・ディメンションの「Up, Up And Away(ビートでジャンプ)」(68年)風の短いフレーズが引用されていて唸ってしまった。 
 他にもビックバンド・サウンドを全面に出した「〇の∞ (album version)」、フュチャー・サウンド的なトラックに無垢なメロディと歌声をぶつけた「ふれる」等聴きどころは多い。 
アルバム中最もソング・オリエンテッドな「ひとしずく」にも触れておこう。スローなニュージャックスイング調のバックトラックに感動的なホーンとストリングスが重なっていく。本作のハイライトと呼べるかも知れない。 
(ウチタカヒデ)



☆大滝詠一:『DEBUT AGAIN(初回限定盤)』(ソニー/SRCL8714~5)


大滝詠一が他アーティストに提供した曲のデモ等を集めたセルフ・カバー集に、オマケとして1997年の再活動開始期にソニーでのリハビリ・セッションを初回限定でプラスしたアルバムだ。ライナーがあるので枝葉末節な細かい情報を入れながら紹介しておこう。やはり男性に書いた曲はキーがドンピシャ、冒頭の1985年に小林旭のために書いた「熱き心に」がまずこの盤のハイライトの1曲。大滝の歌声は本当に魅力的で、日本のナンバー1ヴォーカリストだなと改めて思う。ソフトで癖が無く、誰でもうっとりとさせてしまう魔法の声だ。1994年に渡辺満里奈が歌ったというより、「ちびまる子」のテーマソングの「うれしい予感」は、キーがオリジナルなので非常に低い。よくこんな低音でもきれいに歌えるものだ。ミニアルバムでは222秒から35秒に登場する大サビの入っていない、短いシングル・ヴァージョンを使っている。1998年の「怪盗ルビイ」は2002年リリースの『Kyon3』に、小泉今日子と大滝の細かいつなぎ合わせのデュエット・ヴァージョンが収録されていたが、こちらは初登場の大滝のソロ・ヴァージョン。ラッツ&スターに提供した「星空のサーカス」と「Tシャツと口紅」はさすが男性用、キーが合うのでバックコーラスも完璧、自家薬篭中の出来でやはり“提供先”より魅力的に仕上がった。薬師丸ひろ子に提供した1983年の「探偵物語」「すこしだけやさしく」は、大滝が同年724日に西武球場で行ったコンサート「オールナイトニッポン・スーパーフェス’83」用に作ったオケで録音したソロで、アレンジから全く違う。前者は、ほぼオーケストラをバックにした薬師丸に比べ大滝はピアノのイントロからオーケストラが入りビートも感じられるアレンジで仕上げている。ただ大滝のソロ作品として見ると歌謡曲っぽさが強い曲想だ。後者の大滝ヴァージョンはカスタネットが加わりより大滝らしいサウンドになっていた。このコンサートでは大滝はなんと嬉しい「オリーブの午后」からスタート、「ハートじかけのオレンジ」「白い港」「雨のウェンズデイ」と続きその後がこの2曲の登場、そして「夏のリビエラ」「恋するカレン」「FUN×4」「Cider’83~君は天然色」で「夢で逢えたら」のインストがラインナップだった。そしてこの本編CDでもこのライブと同じ流れで次は『Snow Time』で既に披露済みの「夏のリビエラ」だったのは偶然か。そして曲の魅力度ではこのアルバムの目玉である「風立ちぬ」の大滝ヴァージョンが登場する。使用したのは松田聖子に提供した1981年の123日に渋谷公会堂で行われた観客は与えられたFMWalkmanに各自のヘッドフォンをつないでライブを聴くという「ヘッドフォンコンサート」のライブ音源だった。キーを変えバッキングは新しく作られたが、基本的なアレンジは松田聖子ヴァージョンで、「探偵物語」ほどの違いはない。やはりソロだと歌声にはつらつさが欠け、なにやら照れくさそうな感もある。この音源にはブートで一部に出回っている松田聖子と同じキーで歌うデモヴァージョンがあり、そちらが収録されると思っていたが、よりキーが低く、歌声が地味だったので使われなかったのか。このブートには大滝本人が歌う「冬の妖精」のデモも入っていたがこれも収録されていない。ちなみにこのライブは第1部が「FUN×」「Pa-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語Velvet Motel」「スピーチ・バルーン」「外はいい天気だよ」「青空のように」「カナリア諸島にて」「指切り」「雨のウェンズデイ」「恋するカレン」「ナイアガラ・ムーンがまた輝けば」の11曲、第2部が「恋はメレンゲ」「想い出は霧の中」「Confidential」「Blue Velvet」と続き16曲目にこの「風立ちぬ」が登場した。その後は杉真理の「街で見かけた君」、佐野元春の「Someday」となり、Niagara TriangleVol.23人による「A面で恋をして」(アンコールも同じ)、「君は天然色」「さらばシベリア鉄道というラインナップだった。最後は『Best Always』『Niagara Song Book2』を買って応募した人300人にもらえたシングルに入っていた「夢で逢えたら(Strings Mix)」が収録された。ハープシコードからスタート、その後はストリングスのバッキングなのでドリーミーな仕上がりでラストに相応しい。そしてオマケのディスク2。1997年に大滝がソロ活動再開をするためにソニーのスタジオで2ヶ月に渡って続いた「リハビリ・セッション」からの音源が続く。1928年のジミー・オースティンのカバー“My Blue Heaven”のカバー「私の天竺」で、中間に“Home On The Range”を入れるセンス、まさにナイアガラだ。楽しいカバーでディスク2では一番好きかも。続く「陽気に行こうぜ~恋にしびれて」(2015松村2世登場!version)は、ご存じエルヴィス・プレスリーのカバー・メドレーで、昨年リリースされた『佐橋佳幸の仕事1983-2015』に収録されたものから冒頭の30秒のスタジオでのやり取りをカットしたものだ。その後はカントリーのロジャー・ミラーとジョージ・ジョーンズのカバーのメドレー「Tall Tall TreesNothing Can Stop Me」と軽快なカバーが続いた。このリハビリ・セッションは、その後に大ヒットとなる「幸せの結末」が生み出され、曲のタイトルのとおりとなる。最後はディスク1の「うれしい予感」のB(扱い)で、植木等が歌った「針切じいさんのロケン・ロール」の大滝によるセルフ・カバー。このディスク2に回されたのは、オリジナルが1958年のノヴェルティ曲でそこにさくらももこが歌詞を付けたものだから。大滝が歌うとまさにナイアガラ。ロンバケ以前の未発表曲と言われればすぐに信じちゃうね。(佐野邦彦)

2016年3月17日木曜日

☆吾妻ひでお:『ワンダーAZUMA HIDEOランド2』(復刊ドットコム)


出版の計画を立ててから約一年、ようやく待望の続編が出版された。この一冊で吾妻ひでおの単行本未収録作品の9割以上がカバーされたことになり、またここに収録された雑誌や同人誌、業界誌などの原本を集めるのはほぼ不可能に近いので、本のコスト・パフォーマンスの高さは比類なきものがある。高校時代の投稿カットまで入れた徹底ぶりだ。本の構成順だとレア度が分かりづらいので、発表年順にポイントを押さえておこう。まず初期作品だが、高校時代の投稿カット、アシスタント自体のカットまで入れた徹底ぶり。デビューの1969年から1973年までのショートショート10本が『デビューの頃』に入っている。ギャグマンガとしては非常に素朴だが、「ベトナム和平」「沖縄問題」(返還こと)「国電」などネームに時代を感じられる。続く作品は『青年マンガ』のコーナーの方が早い。そのコーナーの中では1974年のカラーや2色が入った作品も入れた4編、19751本、19771本が初期。そして『少年マンガ』のコーナーとも重なり1972年の「おーマイパック第3話」、197476年の「ふたりと5人」番外編4編はどれもエロ・グロ・ナンセンスで、初期吾妻ワールドを感じさせてくれる。ちなみに青年マンガコーナーの「ゴタゴタマンション」は他に3編単行本未収録があるが、「アニマル・カンパニー」の1編と含めて吾妻先生の方で余りに下品とNGが出てしまった(笑)さて、ここから紹介する部分が、多くの吾妻ひでおフリークの目玉となる、一番絵柄も内容もいい、「アズマニア発生」の部分である。やはりこれは同人誌作品が核となっていて、主なものは『ワンダー1』などに収録済みのだが、ここでは『無気力プロのころ』と題して77年の「吾妻ひでお伝!」、78年の「無気力日記」、84年の「良いファン悪いファンとんでもないファン」といったコマを割った作品は貴重だし、当時のコミケでスターダムにいた「はーどしゅーる新聞」などへのカットの数々、あの伝説の吾妻先生本人が売り子をやっていた「シベール」の番外編の「プチ・シベール」に描いたイラスト2点、さらに「少年マンガ」コーナーにページ合わせで入れられた77年「吾妻ひでお不滅のキャラクター特集!」(注:奥様のカット付き。黒マクさんのこと)の同人誌17Pは激レアである。さらに巻末の吾妻先生と高橋葉介先生の対談に入っている「葉介先生ご結婚おめでとう」のカットは1983年に高橋葉介先生のファンクラブに描いたものでレア度はさらに上がるのでここにも注目。諸事情で入れられなかったイラストやマンガがあるのが残念だが、これだけ入れられればまずは十分だろう。あと『青年マンガ』に入れられてしまった78年に「高2コース」に連載された「いちヌケくん」計3回12Pは、貴重度はマックスだ。学年誌がまずレア、そして78年という発表年だ。同時期に「パラレル狂室」を描き「やどりぎくん」を連載していた。翌年にはあの「不条理日記」を描くなどSFマインドも爆発を初めていた。この作品はギャグだが、最も単行本収録を望んでいた作品のひとつである。以降は『近作と友人たち』『近作と美少女』と題されたコーナーに収録されているがこのコーナー立てにはあまり意味がなく、古いものでは83年の作品から、90年代、2000年年代の激レア作品が揃う。特に予告編的な、96年にCD-ROM本を出した時の予告マンガや、青年誌での「うつうつひでお日記」の予告編4コマ3編とか「コスプレ奥様」を出した時の雑誌の予告4コマなんて、まあ普通の人は気づくこともないディープなものだ。そして2005年にあの名作「失踪日記」を出した時に、新宿の「まんがの森」で配った内容予告の宣伝マンガ「失踪日記のこと」など、知ることすらなかった非売品。(当初、先生は掲載NGにしていましたが…。特に問題ない内容でしたから。)その2回目の失踪時代はガス工事屋になっていた事は有名だが、その業界誌に1Pマンガ「ガス屋のガス公」を書き、本名・写真付で掲載されていたものがあるのだが、さすがに作業着姿の写真をカットして掲載している。93年のことだった。そしてこの「ガス屋のガス公」は2011年に8Pマンガとなって。吾妻ひでおマニアックス展」の展示として公開され、この本に収録された。先生は定期的に「癒しとしての自己表現展」「心のアート展」に描き下ろしマンガを展示しているが、こういうアート展の収録はまさに超マニアック。その中でも「ガス屋のガス公」は「失踪日記」のエネルギーを内包する、この本のハイライトの作品だった。その他、親交があり共作本も出している新井素子との単行本未収録3編(ひとつは抜粋版)や、コミケの創始者で親交があった故・米沢嘉博への追悼同人誌3冊への3編も貴重だ。自分自身の想い出だが、80年代に「漫画の手帖」という同人誌をコミケに出していた時に、米沢さんは毎回必ず挨拶に来られていて、律義でとても好印象を与える方だった事を思い出す。本書は本当に落ち穂ひろい。そのため非常にバラエティに富んだ内容になったが、コンプリートを目指す人にはマスト・バイ・アイテムだ。この本はセレクションだけ済ませたところで諸事情から離れて完成したものだが、各扉のカットなど気が効いていて良い出来である。まだこの『ワンダー2』だけでは単行本1冊分の抜け原稿があるので、いつか最終版『ワンダーAZUMA HIDEOランド3』が出ることを待つことにしよう。(佐野邦彦)