2011年11月30日水曜日

★第6回 宮古諸島ツアー2011

 Journey To Miyako Islands 2011


佐野邦彦 




                            八重山・宮古で最も美しい海のひとつ、下地島空港沖の海


                   

一つ残っていた。ずっと心に引っ掛かっていた。それは宮古諸島の水納島(みんなじま)だ。

沖縄本島の近くにクロワッサンアイランドと呼ばれている同名の島があるがそれではない。宮古島と石垣島の中間にある多良間島の沖8kmに浮かぶ、人口3人の島、それが目指す水納島だ。私事で恐縮だが、我が家では家族4人(今年の夫婦で行った八重山は除く)で今まで11回、宮古島を中心とする宮古諸島、石垣島を中心とする八重山諸島へ行った。6回の八重山で、八重山諸島にある11の有人島へはすべて行くことができた。
では宮古。5回の宮古で、宮古諸島にある8つの有人島のうち7つは行った。残っているのはそう、水納島だけなのである。水納島さえ行けば、宮古・八重山の19の島、全てへ行ったことになるのだ。
 しかし長男は内定が取れ、来年は就職である。家族4人で行くことはまず、不可能だ。だからこそ、今年、どうしても悲願を達成したかった。悲願とは私個人だけのもので子供二人は特にどうとも思っていないようだが、全部行けば、記憶には残るだろう。 一昨年にトライし、多良間島まで渡り、海の向こうに水納島が見えていた。晴れていたのに、海がうねっていて渡ることはできなかった。だから今年の6回目の宮古は水納島へ渡れなければ意味がない、そう決意していた。 だからはじめ9月に予約していたが、台風が奄美へ迫っていたので、影響で船が出せないと確信し、3割のキャンセル料を払って10月に変更したのだ。 しかし10月に入っても宮古はずうっと雨もしくは曇りマーク続き。3週間くらい晴れはほとんどなかったと思う。沖縄は雨じゃなくても曇りでは何の意味もない。陽が射さなければ海はあの輝く翡翠色ではなく、緑がかったねずみ色でしかない。
ただこれだけ悪天候が続けば、さすがに行く頃には天気が回復するのではと、淡い期待があった。すると願いが通じたのか、行く日は曇りマークだが、その後は曇り時々晴れのマークが並ぶ。台風も熱帯低気圧も発生していない。これなら渡れそうだ。こうして12回目の離島旅行がスタートした。
☆10月21日(金) 
 宮古島へはいつもの早朝6時55分羽田発の直行便を使う。3時間20分のフライトだ。違うのは運転が自分でないこと。子供二人が免許を取ったので、助手席でナビをすればいいのでこれは気楽だ。ここでまず伝えておきたいのは、値下げした羽田空港のパーキングの料金である。予約は不要、3泊4日でたったの5500円!昔は空港駐車場の料金が高かったので、空港周辺のパーキングに停めてそこから送迎というパーキングプランが必ずといってもいいほど旅行会社のパンフレットの裏に載っていたが、今や壊滅だろう。またモノレールは往復で940円もするが、浜松町までの交通費を入れれば4人で行くとパーキング料金を超えてしまう。荷物運搬の手間もあるので、4人でなくてももうモノレールを使う手は消えた。羽田へ行くのは車が安いという認識に変えてほしい。 
 宮古空港へ着くと空は曇り。天気予報通りか。こういう天候は、吉野海岸に限る。吉野海岸は海の中を見るためのビーチなので、曇りでも関係ないからだ。レンタカーはレンナビで最安だったマツダレンタカーを使う。3泊4日、保証料込で11500円は格安だ。ここで伝えたいこと第2弾。レンタカーはレンナビか石垣島ツアーランドなどのサイトで、最安、保証料込、キャンセル料が直前でないとかからないプランを選ぶのが絶対にお得。旅行会社のレンタカープランは高いので使わないこと。 急ぐ必要もないので必ず行く西里のA&Wで腹ごしらえ。その後、吉野へ向かう。

吉野海岸は、宮古島市が指定管理者にまかせて運営しているので500円の駐車料金を払って送迎してもらうシステムになっている。その事を嫌う人がいるが、それは単なるノスタルジア、昔のあの切り返しも困難な急坂にアクロバットのように駐車する過去がいい訳がなく、500円で安全に行き来できる今の方がいいに決まっている。駐車場へ着くと停まっているのは4台ほどでガラガラ。もう10月だものな。下へ降りても全部で20人くらいしかいない。これは快適だ。干潮は15時30分頃なので早くに泳がないと、泳ぎづらくなる。気温は29度、海ははじめ少し冷たかったが、十分に泳げる。空いているし、この時期の方がいいのかも。 海の中は大型のカラフルなブダイ系の魚が泳ぎまわっている。海岸から20mくらいの安全なリーフ内に珊瑚が群生しこんな大型の魚がいるビーチは吉野海岸以外ない。となりの新城海岸もこんなにはいない。

そして八重山は、リーフ際まで行かないとダメだ。やはり吉野は特別だなと改めて感じて浜に戻ると空はすっかり青空になっていた。これは嬉しい誤算だ。海の色も陽の光がないときとまったく違う。
パラソルの下の椅子で休んでいると、長い髪を後ろで縛り、ボーイスカウトのようなカーキ色の服を着たダンディな老人がこちらへやってきた。手には珊瑚のカケラを持ち、ヒモで結わこうとしている。
「どこから来たんですか?」
「東京です」
「東京のどこですか」
「世田谷です」
「世田谷のどこですか?」(だいぶ詳しいな)
「上町というところです」
「宮古島は初めてですか?」
「もう6回目です」
と、ここでこの老人は「私はここで吉野海岸の環境を守るNPOをやっています。この自然を大事にしてもらう証としてこうやってサンゴのネックレスを付けていただくようお願いしているのですが、首からかけていいですか?」と。
「いいですよ」
「私は『吉野のおじさん』と呼ばれているんです。ホームページもやっています。」
そうか!この人が「吉野のオヤジ」という人か。今は「吉野のおじさん」と言われているのか。そのホームページは行く前日に読んだばかりで、噂では台風の後、吉野のオヤジはいなくなった、のような事を聞いていたけど元気じゃないか。
最初はよそ者が偉そうにみたいな感じで地元の人から嫌がらせを受けたりしていたけど、今は地元の90%の人が活動に賛同してくれるようになったという記事を読んだばかり。
沖縄離島のホームページで、吉野海岸には「吉野のオヤジ」という人間がいて、いちいち文句を付けてくのであまり行かない方がいい、なんて書いてあったのをすっかり鵜呑みにして、最初の2回は吉野海岸を避けていた。
新城海岸にいる地元の人も同じことを言っていた。しかしこの方はとても紳士的だし、干潮時に珊瑚の上を走り回っているバカな高校生くらいのガキどもをここで見たことがあり、注意する人がいなければここは守れないなと痛感していたので、保護活動は賛同できる。
ここで会えてよかったな。でもまったく今まで1回もお見かけしなかったのはなぜ?と聞くと、「夏はともかく人が多いので、端っこの人に声をかけるだけで終わっちゃう」と笑っていた。
そして吉野海岸の海は世界一で、先日来たオーストラリアの人もグレートバリアリーフよりも凄いと感動していたというエピソードも聞かせてくれた。カッコいい吉野のおじさん、これからもがんばってくださいね。
 干潮になったので、吉野を引き上げ、池間大橋までいって池間島の売店で紅イモもちとサザエを食べる。そして夜は「なみ吉」で食事。初日はいつもこのパターン、でも最高だな。
 ☆10月22日(土) 
 宿泊先はパイナガマビーチ近くのホテルサザンコースト宮古島。西里に近く、コンビニは隣だし、駐車場からホテルの入り口までの間に広い洗い場があることが気に入って、最近、お気に入りのホテルだ。ただし今日は戻らない。というのも水納島で一泊するからだ。
9時55分発のプロペラ機で多良間島へ。プロペラの爆音はいつ聞いてもわくわくする。フライト時間は15分程度だ。多良間空港で宮国さんの弟さんと落ちあう。ここで宮国さんと水納島について紹介しよう。


 水納島にはかつて200人以上の人が住んでいたという。しかし宮古島のように地下ダムがあるわけではないので水は天水だけ。1989年までは電気も通ってなかった。その離島苦のため、次々住民は宮古島や多良間島へ移民し、残ったのは宮国さん一家だけだった。
 宮国さんは島全体を牧場として畜産で生計を立てた。一時は家族8人がいたが、今、住んでいるのはご兄弟2人だけと聞いていた。島に渡るには宮国さんの船をチャーター、宿泊はかつて島に住んでいた人の一軒家を貸してくれる。
船は往復で3万、宿泊は一人3000円だ。
水納島には当然、店はないので、食糧と飲み物は多良間島で買っていくことになる。手間がかからないよう、レトルトのごはんや缶詰、そしてお気に入りの「金ちゃんヌードル」などを買っていった。
 宮国さんの弟さんの車で多良間のスーパーに行ったあとは、普天間港へ向かう。「しらはま」と書かれた船は10数人乗り程度の船で、後ろのデッキに6人腰掛けられるので、そこに座った。
 運転はお兄さんだ。ご兄弟とも私と同じような年のように見える。そして痩躯でハンサムだ


空は昨日のように曇っているが午後から晴れるようだ。船が防波堤を越えるあたりから波がガンガンあたり揺れに揺れる。椅子の縁につかまっていないと吹っ飛ばされそうだ。今まで何度か荒れた日の船に乗っていたので耐性はできていたが、初めてこの揺れに遭遇したらビビるだろう約25分で水納島へ到着する。

桟橋には、あれ?女性が一人、誰だろう。荷物はトラックで先に宿泊先へ。港をからすぐに緑の鬱蒼としたトンネルがあり、そこを抜けると道路の左右は芝生のように開け、宿泊する一軒家はその右手にあった。先に港にいた女性が、妻を呼んで、台所や水回りの説明をしてくれる。我々は荷物を家の中に運び込んだ。
このコンクリート作りの一軒家、1DKだがとても広くて風通しがよく、まわりに何もないので採光も抜群、とても気持ちよい。家の中は冷蔵庫、電子レンジ(調子は悪かったが)、洗濯機、温水シャワー、ガスレンジ、炊飯器が揃っているし、調味料、シャンプー、リンス、ティッシュなどなんでも置いてあって申し分ない。トイレだけ外だが、水洗だ。広々としていて、上に窓のような穴が2つ開いているので風通しがよく快適。家族4人、すっかり馴染んでしまい、妻などはここに住みたいねとはしゃいでいたほど


窓の外には野生のヤギがいっぱい来ている。島のあちこちで見かけるが、家の前の広い芝生のような庭は、このヤギの群れがうまい具合に雑草を食べてくれるので手間いらずとか。昼食を作って食べたあとはみなゴロゴロとくつろいでいるので、せっかちな私一人が島の散策に出かける。まず港の左に行くとしばらくして先に進めなくなったので、次に右の方をどんどん歩いていった。島はずっと白砂のビーチが続いている。すると20分くらい歩いたところで、海の中まで続く鉄条網が2列あり、これは牛が逃げないためのものだと分かったが、それ以上は進まず、引き返した。すると昨日のように雲が切れ、どんどん青空に変わっていく。これは嬉しい。家には1時間ほどで戻り、ビーチへ行こうとみんなを誘う。


長男はどこからか木を見つけてきて、そこに多良間のスーパーで買った釣糸とオモリを取り付け、釣竿を作っていた。エサは魚肉ソーセージだ。時間が少し遅いので、宮国さんに勧められた港のすぐ横の左のビーチで遊ぶ。丁度良い、モンパの木があり、そこに荷物を置いて長男は先に見える防波堤まで釣りのため歩いていった。二男と私は泳いでリーフ内を回る。リーフ内は浅く、足が付く。魚は岩の下に隠れている程度だ。海の向こうには多良間島が横たわり、一昨年、この対岸で水納島に渡れずため息をついていたのかと思うと、感慨もひとしおである。長男の釣竿には1回、魚がかかったがばれてしまうのを海の中から見ていた。日が傾いてきたので、家へ引き上げる。


そして水平線に沈む夕日を見ようと、再び、4人で港へ行った。夕日が沈むまで眺めたことなんて記憶にない。沈んでいく様は見ても、沈むまでじっと見つめていたことは、今まであったのだろうか。大きな流木に腰かけてじっと水平線に消えていく夕日を見ていたが、水平線ギリギリに雲があり、残念ながら沈みきるところまでは見えなかった。再び家へ戻り、暗くなったころ、宮国さんがやってきて「8時半頃から一緒にオトーリをしませんか」と誘われる。二男は一切酒を飲まないし、長男も疲れているようなので、私と妻で宮国さんのご自宅まで歩いていった。
そこで分かったのは、女性は宮国さんの弟さんの奥さんで、7月に結婚されたのだという。じゃあ、水納島の住民は3人に増えたんだ。いやーおめでとうございます。奥さんは愛知県ご出身だそうで、明るくてチャーミングな方だ。家には大きな液晶テレビがあり、東京と少しも変わらない高画質(さすが地デジ!アナログだったら電波不足で雪が降ったような画面だったかも)でテレビが付いていて、たまたま新婚旅行で行ったばかりの場所(たしか京都)が映り、お二人ではしゃいでいてとても微笑ましかった。オトーリをきちんとするのは初めてで、親が一周するまで、5人なので5回グラスが回る。親は最後にもう1回飲み干すので6杯は泡盛を飲み干した計算だ。アルコールは強くないので普段はビールしか飲まないが、楽しいお酒だったので相当飲んでしまったように思う。
多良間のスーパーは物価が高いのであまり買わず船で2時間かけて宮古島へ行ってたくさん買い出ししてくること、使っている水は天水をろ過したもので最近雨続きだったのでたくさん使っても大丈夫、中学からは多良間島へ船で通うが多良間の言葉は発音が独特で水納島の言葉と違うので笑われたとか、高校は宮古島でさらに出身によって言葉が違うので最初は何話しているのかよく分からなかったとか、小さい頃は水汲みが仕事だったとか、興味深い話をたくさん聞かせていただいた。お兄さんは私と同じ年で現在54歳、思わず握手をしてしまった。
2時間くらい飲んだところでお開きとなる。明日は浜崎(島の西側)まで行くといいですよ、途中で会ったら車で送るからとおっしゃっていただき、お暇した。
家へ戻ると、星を見に行こうと4人で再び港へ行く。月齢は20数日なので月は深夜過ぎでないと出てこない。星を見るには絶好だ。見上げると満天の星。すごいのは平たい島なので360度見渡せることだ。星座の形だけしか星が見えない東京と違い、星が多すぎて星座が探せない。ところが残念ながら記憶はここまで。飲み過ぎていてそこから先は覚えていない。星を見てからオトーリに行けばよかったなあ...。
 ☆10月23日(日)
  いつもと違い、もう目的地にきているので朝はのんびりだ。居心地がいいので、ゴロゴロとすっかりくつろいでいる。 空は一瞬晴れたかと思ったらまた雲がやってきて日が陰り曇り時々晴れ間という感じだ。ビーチは晴れないとつまらないので、まずは水納御嶽へ行ってみる。道路は舗装され、きれいに整備されている。御嶽へいくには土の道へ入っていく。道の左右はアダンがビッシリ生えているが、鋭い葉先がみなバサッと落ちているので、宮国さん達の手入れの賜物だろう。気の遠くなるような量なので頭が下がる。

嶽はコンクリート作りの立派な作りで手前に柵があり近くまで行けないようになっていた。水納島出身者の心のよりどころなので、こうして整備されているのだろう。
海へと向かう道はさらに道が細くなりジャングル道風。かすかな潮騒の方向へ足を運ぶと島の北側の海が見えたが、ちょうど干潮ですっかり干上がっていたので、そのまま引き返すことにした。
家(宿と呼ばず家と呼ぶ)まで戻ると日差しが出てきた。これはいい。昨日勧められたとおり島の西端まで行こうと牧場を突っ切る道を歩き始めた。

すると自転車をこいでいた若奥さんとバッタリ出会い、車で送ってくれるという。トラックの荷台に4人乗り込み、ガタガタと牧場の中を進んでいくが、牧場が広い!かなりの距離があり、これを歩いて行ったら、けっこう大変だった。
トラックを下りるとその先は真っ白なビーチだった。 白砂のビーチは沖縄には数あれど、これだけ大量の白砂に囲まれたビーチは見たことがない。ちょうど島の西側の角の部分なのでさらに珊瑚が堆積したのかもしれないが、極端に言えば砂丘が出現したかのようだ。


離島のビーチは翡翠色と群青の海、白砂の浜、青い空があって、あの美しさを生み出すのだが、そこに広大な白い浜が広がっている絵を想像して欲しい。そして眩しいほどに輝いているのだ。このビーチはウプイというようだ。浜は砂丘状態なので、草が生えているだけで、他のビーチのようにアダンやモンパの木が一本もないため、日影が存在しない。少し歩くと木の骨組みにビニール製の床のブロックがひいてある廃屋を見つけた。廃屋といっても屋根部分は吹きとんでいるので日陰はできないが、足元のビニールのブロックだけは安定している。そのため、この大きなブロックで浜に吹き飛んでいるものを骨組みに立てかけ、一人分だけの小さな日陰を作った。妻はそこで丸くなっていた。
近くに「はまさきマリンサービス」という小さな看板があることから多良間島のマリンサービスの業者がここで簡易休憩所でも作っていたのだろう。ただもうその面影はない。リーフ内の海は一見遠浅で、いつまでも足が付きそうだが、途中から2m以上の深度になる。

すると珊瑚の群落が現れ、デバスズメやルリスズメ、クマノミなどの小さい魚がたくさん泳いでいた。これは満潮時では群を抜く美しさがありながら、深度がないので魚がいない多良間島のウカバとは大きく違う。浜に出てから左側に曲がりこんでいったのだが、右側に行った方が浜崎で、そこのこの深みには干潮時、多くのウミガメが集まっている光景に出会えるのだそうだ。砂丘のような白い砂は浅瀬にも入り込み、ウプイ独特の景観を見せてくれる。


いつしか空には雲はなくなり、光が海の中の白砂に降り注ぐ。海は光の模様を表面に揺らめかせて、キラキラと金色に光り輝いた。奥の方は翡翠と群青のグラデーション。あまりの美しさに浜辺で休んでいる家族を呼ぶ。
海を眺めていると聞こえてくるのは風の音だけだ。リーフ内なので潮騒がない。耳を澄ますとはるか沖にあるリーフに砕ける波のゴゴゴという音が、かすかに聞こえている。どこのビーチでも聞こえる人の声や、エンジンの音などの人工的な音がひとつも聞こえない。


きっと何万年前、いや人類がいなかった頃も、今と同じ静けさだったのだろう。
この島にいるのは家族4人と、宮国さんの一家3人だけだ。他には誰もいない。なんというぜいたくだろう。私が人の多い沖縄本島ではなく離島ばかり行くのは、この静けさを求めているからだ。
東京に生まれ育って騒音の中で暮らしてきた。音楽が好きなのでいつもずっと音楽を聴いてきた。だからこういう自然の音だけの時間が欲しい。もちろん極上の景色と一緒に。


そのため、今まで行った13回の宮古・八重山で、音楽を聴くのは往復の飛行機の中だけで、滞在中は一度も聴いたことがない。
この水納島にビーチにあるのは手つかずの自然だけで何もないともいえる。しかしここには全てがある。このままずっと海と浜を眺めていたかったが、3時に港から多良間へ戻るので、遅くとも2時までに家へ着かないと、シャワーを浴び、洗濯機を回し、昼食を食べる時間がなくなる。


1時過ぎに浜に添って港へ戻ることにした。ところが白砂がパウダースノーのようにふかふかしていて歩きにくい。結局しっかり足を踏めるのは波打ち際と分かったが、それまでは悪戦苦闘しながら光り輝くビーチをひたすら歩いていった。2か所の鉄条網はくぐれる場所があり、腰をかがめて抜けていく。日差しは10月とは思えない強烈さで、おかげでこの時期にしては季節違いの真っ黒に日焼けしてしまった。 
家へ戻ると慌ただしくシュノーケルの道具やマリンシューズを洗い、男性陣は素っ裸になって水着を洗濯機に放り込む。順に温水のシャワーを浴びながら、昼食の準備、洗濯、後片付けが同時並行で進んでいった。
食事だが、多良間のスーパーで買ってきたと思ったレトルトのカレーが入っていないことに気付いた。おかずとして残ったのはサバ缶2個のみ。レトルトのご飯をあっため、4人でサバ缶を突っついたが、これがまた美味しい。普段、色々なものを食べすぎているからこういうシンプルな美味さに気付かないんだな。これもまた何もないから見えてきたことだ。ありがたい。家には宿泊ノートがあり、もう12回目とか、リピーターが多い。ここまで来ようという人はそれなりにコアな旅人たちなので、その思いは熱烈だ。私も書き込ませていただいたが、リップサービスではなく是非、また水納島へ来て、ここへ泊りたいと思う。人もいいし、それだけの価値はある。
名残惜しい気持ちをかかえて、水納の前泊港を離れた。
帰りは特に揺れることもなく快適な船旅である。多良間の普天間港で宮国さんご兄弟に挨拶をし、飛行機で宮古へ戻る。
まずは宮古空港で、お土産を買う。ここの売店はたくさんあり、西里の売店より充実しているので、オススメ。家族や友人、職場や学校など4人で買うと膨大な量になるし、出費も大きい。でも今までこうやってきたし、お忍びで、というのも嫌だし。そして宮古島へ来たら必ず買うのが伊良部島産の「うずまきパン」


真ん中にギッキリとバタークリームが詰まっていて、そのクリームの中にジャリジャリするザラメの砂糖が入っている、超高カロリーなパンだ。しかしこいつは美味しい。中毒になる。一度食べたらやめられない。この「うずまきパン」は沖縄で作ったものは東京のわしたショップでも売っているが、伊良部島産じゃないとまったくダメ。と言うのも、真ん中のクリームの量とザラメの砂糖の量が違う。じゃりじゃりしなければ「うずまきパン」じゃない。でも宮古へ行かないと手に入らないので、東京ではしぶしぶ沖縄産の「うずまきパン」を買うこともある。わしたショップのレジでそれを出したら、レジの若い女の子が「これ、美味しいですよね!大好きなんです」と声をかけられる。そこで「でも、本当は伊良部島のが美味しいんですよ」と返事をしたら、隣にいたベテランの女性の店員がすかさず「そうでしょう?じゃりじゃりしないとダメですよね」と割り込んできた。
いやー、分かってくれる人がいて嬉しい。みんな同じなんだ。東京でのいきなりの「うずまきパン」談義だ。明日は伊良部島へ渡るが、パンを抱えての移動は不便なので、売店の人に大量に予約する。「うずまきパン」ファンに頼まれている分もあるからね。受け取りは帰りだ。
もうひとつ必ず買って帰るものがある。それはバヤリース。そんなの本土でも売ってるじゃんと思う人が大半だと思うが、作っている会社を見て欲しい。沖縄のバヤリースは「沖縄バヤリース」、沖縄以外では「アサヒ飲料」で、作っている会社が違う。
そして成分を見て欲しい。沖縄バヤリースは「オレンジ果汁10%」、アサヒバヤリースは「オレンジみかん混合20%」とまったく違う。どちらが美味しいかって?そんなのオレンジのみの沖縄バヤリースが美味いに決まっている。味が濃いのだ。みかんが入ったアサヒバヤリースは「なっちゃん」みたいで味が薄い。
ただ本土で沖縄バヤリースは入手不可能なので、帰りに重いペットボトルを何本も持って帰るしかない。もちろん今日は買わない。これも明日の帰りがけだ。
宮古空港を出るときに1泊2日の駐車料金2000円を取られた。今まで無料だったのにこの値段、高すぎる!と憤慨しながら、宮古島東急リゾートへ向かう。
夜は今回の基本ツアーであるJALでもらった「島旅クーポン」を使って、宮古島東急リゾート内のレストランのバイキングを食べるのだ。品数が多く、目移りして、みな色々な料理やデザートを何度も往復してもらってきていた。バイキングの内容は十分に満足で、クーポンなので支払いもなかったが、アルコールなどの飲み物は別。まったくのタダというもの悪い気がして1品ずつ注文したが、けっこう高かったな。
 ☆10月24日(月)
 いよいよ最終日が来た。空は今までと違って9時すぎから一気に晴れてきた。今日のメインは下地島空港の離発着訓練を見ることだ。これで3回目だが、あの美しい海の彼方から大型の旅客機が頭上を越えて着陸するシーンを見るのは、何度見ても飽きることがない。ここへ行くにはまず伊良部島へ渡らないといけない。伊良部へ行くカーフェリーは、誘導のおっかないおっちゃんのプレッシャーを受けながら、バックでギリギリに駐車しないといけない。この時だけは私が運転を変わった。30分のゆっくりした船旅だが、船上からは建設中の伊良部大橋が大きく見えた。全長3km、この橋ができたら、伊良部島は、そして下地島空港へは大量の観光客が押し寄せるだろう。今でも車で混雑する(本当は駐車禁止)下地島空港の突端は、規制されてしまうに違いない。完成は2014年3月、あと2年半だ。このカーフェリーも廃止になる。
下地島空港の突端への道はいつもながら分かりづらい。カーナビではその道をおしえてくれないので要注意。ようやく道を見つけ、カーブの先に下地島空港沖の海が見えてきた。はやる気持ちをおさえ、空いているスペースを見つけ路肩ギリギリに車を止める。その日は宮古島から観光バスが来ていて、観光客にこの離発着を見せていた。観光バスを見るのは初めてで、最近コースに入れたのかもしれない。もともと広い道ではなく、ガードレールもないので、道幅は開けておかないといけない。
 2年ぶりの下地島空港沖の海だが、今日は快晴、その美しさが際立つ。翡翠色と群青の間のような絶妙な色合いの海が水平線の方まで続いている。数ある沖縄のビーチの中でも、波照間島のニシハマの「ハテルマブルー」と、ここの海が美しさの双璧だろう。その息をのむような美しい海をボーイング767がゆっくりと回り込み、そして旋回して我々の方へまっすぐに飛んでくる。









点ほどの機体がみるみる大きくなり、頭上では空を覆うほどの近さで着陸していく模様は本当に圧巻だ。初めて見た女性達が何人も「すごーい、感動したー!」「鳥肌がたったよー」と口々に言っていたが、それが実感である。今日は運がいいことに、訓練がタッチ&ゴーで続いているので休みがない。10分くらいの間隔で何度も飛んでくる。その都度、アングルを右にしたり、左にしたり、真ん中にしたり変えながら、その機の訓練は初めから最後まで、計10回の訓練飛行を見ることができた。


この下地島空港は3000mもの滑走路を持ち、2000mの滑走路の宮古空港よりも来年度完成の新石垣空港よりも長く、那覇空港と同じ規模だという。



アクセスが飛躍的によくなることもあり、この空港は訓練専門空港ではなくなるだろう。こうやって訓練飛行を眺めていられるのも、あと3年くらいかも。
昼過ぎに宮古島へ戻り、宮古島最終日の定番、宮古島東急リゾートでのバナナボートを申し込む。すると今日は中学生が団体で利用するのでちょっと...と言われるが、隣から今すぐに乗れるならいいですよと声がかかる。水着は初めから服の下に着ているので、子供2人はさっそくバナナボートに乗り込んでいった。前浜ビーチから眺めていたが、いつもよりもずっと遠くまで案内してくれたようだ。1回だけだったのでサービスかな。空は雲が出てきて、しばしば陽が陰る。午後が晴れとなった今までとは逆だ。下地島空港を午前中にしたのは正解だった。
その後、来間大橋を渡り、橋のすぐ近くの展望台から来間大橋と対岸の宮古島東急リゾートを見下ろす。ここは高さがあるので、海の色がきれいだ。波照間のニシハマもそうだが、高い場所から海を見ると、より青さが増し、魅力的な色合いになる。そしてもう一度、宮古島の反対側まで行き、池間大橋を渡って、池間の売店で魔除けになると言われるスイジガイを買った。

橋のたもとには真っ白いネコがいて、ネコ好き一家の我が家はみんなでそのネコを撫でていた。自宅にはかわいいかわいいベルとノエルの二匹が首を長くして待っているだろう。
この家族そろっての沖縄行の12回、全て留守中の世話は祖母がやってくれた。いつもながらありがたい。そして西里で、宮古島へ来たら必ず食べる喫茶「レオン」のステーキ定食を食べる。美味しいし、ライス、サラダとスープがついて1200円は安い。車をレンタカー会社へ戻す道すがら、長男が、就職したらもう来られないかもしれないからよく見ておこうとつぶやいた。
すぐには来られないかもしれないけど、またきっと来られるよ。その時には自分のまだ見知らぬ新しい家族と一緒かもしれないし、またみんなで来ることもできるかもしれない。人生はこれからだ。
我々夫婦が移住して、いつでもおいでと待っているのがベストなんだろうな。まったくあてはないけどね。でもそうやって物事は楽しいことを考えておくのが一番いい。ネガティブ思考になりがちだった自分の、たどり着いた対処方法が一番シンプルなこれだった。
 こうして12回目の離島で、宮古・八重山の19の離島全てを家族4人で行くことができた。ほっとしているが、ちょっとさみしい感じもある。来年はいったい何人で行くのだろう。そろそろこちらへ来いよと、言われているのかもしれない。(宝くじ当たれー!)

 
 
 
 
 
 
 




2011年11月28日月曜日

☆Brian Wilson:『In The Key Of Disney』(Walt Disney Records/D001345502)

ブライアンの先日のガーシュインに引き続く「企画もの」アルバムである。今回はタイトルのとおりディズニーの主題歌集で、古い作品は少なく、ここ20年くらいの作品の主題歌が中心になっている。
『トイ・ストーリー』シリーズと『ライオン・キング』からが2曲ずつなので、このあたりがブライアンのお気に入りなのだろう。アニメーションが大好きな私だが、ディズニーアニメは苦手、見ないでパスしてしまっているのでオリジナルとの比較ができない。しかしどう聴いてもブライアンらしいアレンジで、原曲に忠実とは思えないので、ブライアンの新作として楽しめた。やはり美しいハーモニーがよく合うのはバラード系で、「When You Wish Upon A Star」「Baby Blue」「Can You Feel The Love Tonight」あたりが個人的な好み。ブライアンは大物シンガーにありがちな、朗々とした歌い方をしないところに好感が持てる。特にライブなどではわざと遅らせたり、メロディを崩して歌う歌手が多く、私はそういうのが大っ嫌いなのだが、ブライアンはいつも素直に歌う。稀代のメロディメイカーであり、メロディを大切にするブライアンのいい側面だろう。それにしてもこういう企画ものが続くと、もうブライアンは余生を楽しんでいるかのようで少々寂しい。次こそはオリジナルの新作アルバムに期待したい。(佐野)


☆Rolling Stones:『Some Girls(Deluxe Edition』(A&M/278405-5)

ローリング・ストーンズの名作『Some Girls』のデラックス・エディションは、付属のディスク2の全てが未発表曲という超涙もの仕様。アルバム本体の素晴らしさはもう語る必要もないのでボーナス・ディスクのみ紹介しよう。大好きなストーンズだがストーンズ至上主義のロックオヤジは嫌い。ロックを生き方と結び付け、それをゴリ押しする姿勢が不快だ。ポップ的なものを商業主義と断罪し、バカにしているのが情けない。その手の音楽評論家が多いのが音楽雑誌で、例えばビートルズのベストを選ばせればジョンの曲が圧倒的に上位を占め、ヒット曲の7割を書いたポールの曲は下位に低迷する。もちろんジョンは人間的に好きだし曲も好きだが、曲という観点で選べばポールの曲が多くなる。音楽評論家でポールの曲が半数なら信用できるが少数しかいない。だから音楽雑誌はつまらないのでまったく買う気がしない。興味があるのはリストだけだ。ロックは「カッコいい」という主観だけで語るともっとも思いを共有できる。クロマニヨンズの真島昌利さんは「あれ、聴きました?カッコいいですよね」と書いてくるが、その言い方が一番好き。ストーンズの曲はカッコいい。だから好きなのだ。
さて、本題に戻ろう。ボーナス・ディスクは12曲。個人的に最も好みなのは小気味いいロックンロールの「Tillahassee Lassie」で、こういう3コードでハンドクラップが入ると無条件でカッコいいと思ってしまう。ロックの基本だよね。ギターの間奏も難しいことは何もやっていないのにカッコいいぞ。ラテンビートの「Don't Be A Stranger」はアコースティック・ギターとハーモニカ、マリンバの間奏などストーンズの幅広い音楽性が垣間見られ楽しい曲。「I Love You Too Much」もオープンチューニングのコードがガンガンなって、そして一瞬気をひくメロディが飛び出す麻薬みたいな曲だ。カントリーの「Claudine」「Do You Think I Really Love」「You Win Again」、R&Bの「So Young」、美しいバラードの「We Had It All」、ブルースの「When You're Gone」「Keep Up Blues」などバラエティに富んでいて、クオリティの高い曲も多いのにボツにしてしまうのだからストーンズは凄い。これからのリイシューの蔵出しが楽しみになってきた。(佐野)
Some Girls [2 CD Deluxe Edition]





2011年11月17日木曜日

☆Who:『Quadrophenia Director's Cut(Super Deluxe Edition)』(ユニバーサル・ミュージック/UICY91798)

フーの代表作『Quadrophenia』がスーパー・デラックス・エディションでリリースされた。アルバムは96年リミックスのリマスター、目玉のボーナス・ディスクはアルバム収録曲のデモと未発表デモによるピート・タウンゼンドによるもうひとつの『Quadrophenia』。「5:15/Water」のアナログ・シングル、5.1サラウンド・ミックス8曲が収められた。
このLPボックス・サイズのデラックス版はフーとローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニーで進行していて、未発表曲や貴重な映像のDVDが見られてファンとしては嬉しい限りだが、この仕様が続くのはお金とスペースの問題で頭が痛いところ。CDサイズではキンクスのデラックス・エディションも進んでいる。インターネットからのダウンロードでは持った気がしない私たちのようなオヤジ世代を狙った新手の商売とも言えよう。まだまだ無限に続きそうな予感がする。値段は日本盤を買うと1万円を超えているが、そのくらいは購入できる50代付近をターゲットにしているようだ。給料は上がるどころか毎年一律下げられるので、休日は出かけず家に籠って金を使わないようにして、どこが一番安いか、日米英独仏のamazonとHMVなどで比較検討を続ける。こうやってこの手のリイシューに備えるしかないのだ。ケッ。
 少しグチが出たが、本CDボックスのピートのデモ集は本当に素晴らしい。『Scoop』のシリーズでみなさんご存じだろうが、ピートのデモは完成度が高く、アレンジもほぼ出来上がっている場合も多い。デモは25曲で、実際のアルバムは17曲なので8曲も多い。ピートはコンセプトを大事にするし、ロックに真摯に向き合っているので、我々がいい曲だと思ってもコンセプトにそぐわないと思うとオクラ入りにしてしまう。アルバムのデモはフーが演奏しているトラックも多く、『Another Quadrophenia』と言ってもいいだろう。初登場の曲では「You Came Back」がとてもきれいなメロディとサウンドを持つ洒落た曲なのに未発表だったのがもったいない。「Get Inside」もポップで、ピートらしいナンバーだが、アルバムのコンセプトから外れ、ボツになった。「Anymore」はピアノの弾き語りのシンプルなデモで、フーで演奏すれば大作になっただろう。「Is It Me?」は一部がアルバムの中でテーマのように使われていた。ピアノによるインスト「Fill No.2」と、シンセサイザーを駆使したインスト「Wizardry」はピートがこのアルバムを頭の中で映像化していてそのシーンに当てはめたサントラのようなナンバーだ。その他では、サントラの『Quadrophenia』や『Odds And Sods』にフーのヴァージョンが収録された「Fill No.1-Get Out And Stay Out」「Quadrophenic-Four Faces」「Joker James」「We Close Tonight」のデモも収録されていて、どの曲も必聴。本編はオリジナル・ミックスがロジャー・ダルトリーのヴォーカルのミックスが小さすぎたので、96年のリミックス版をマスターとして使用したリマスターである。その他、インターネットにアクセスするともう1曲デモが入手できる。(佐野



2011年11月16日水曜日

☆Rolling Stones:『Some Girls Live In Texas '78』(Wardrecords/VQBD10065)DVD

ローリング・ストーンズ絶頂期の待望のライブ映像がリリースされた。1978年にリリースされた『Some Girls』を受けてのツアーであり、アルバム10曲の内7曲を披露、懐メロに頼らないところがまずカッコいい。ストーンズ人気はまったく衰えることがなく、70年代に入って逆に加速していた感がある。ビルボードのアルバム・チャートの話だが、60年代で1位になったアルバムは1枚だけだったが、70年代はスタジオ・アルバムの6枚全てが1位にランクされた。その中でも一番売れたのが『Some Girls』で400万枚以上の驚異的なセールスを見せたのである。
おりしもディスコブームでストーンズは「Miss You」でサラリとディスコビートを取り入れ全米1位の大ヒット、しかしどこからどう聴いてもストーンズのサウンドであり。ディスコをすっかり飲み込んでしまった。そしてパンクロックの嵐に晒されても、本家本元は俺たちだといわんがばかりのハードでソリッドなロックンロールの「When The Whip Comes Down」「Shattered」「Respectable」で実力の差を見せつける。ストーンズはいつも貪欲に新しい音楽を取り入れ、全てストーンズ風に消化してしまうから凄い。そしてこのライブ、今まで見たストーンズのライブで文句なしのベストだ。派手な演出が一切ないが、ミックもキースもロン・ウッドも最も脂がのっていた時の演奏と歌なので、そのパワーで耳も眼も画面にくぎ付けになってしまい、下手な演出は逆に邪魔になることころだった。演奏にパワーと切れがあり、以前のようなルーズでやる気のなさそうな演奏でない点が最高だ。それに呼応してミックのヴォーカルは全開でパワフルかつ、適当に崩して歌っていないところが素晴らしい。オープニングが「Let It Rock」、エンディング付近に「Sweet Little Sixteen」というチャック・ベリーのオールド・ロック・ナンバーを配しているところが逆にカッコいい。「お前ら知ってるか?ロックンロールってこれなんだぜ!」と叩きつけているかのようだ。60年代のナンバーは3曲のみだが、「Jumpin' Jack Flash」など凄い音の密度。70年代の名作『Exile On Main Street』から「All Down The Line」「Tumbling Dice」「Happy」と3曲入っているもの嬉しい。そしてボーナストラックに1978年の『Saturday Night Live』に出演した時の貴重なライブが入っていてこれも目玉だ。「Beast Of Burden」「Respectable」「Shattered」の新曲3曲を披露してくれるが、ミックの声の調子がイマイチでパフォーマンスとしては出来があまり良くない。やはりストーンズは大観衆の前の方がより実力が発揮できるのだろう。とにかく、このライブは見ないと大損だ。絶対購入すべきマスト・バイ・アイテムである。(佐野)

2011年11月15日火曜日

☆Dave Davies:『Hidden Treasures』(Sanctuary/27775-3)

キンクスのデイブ・デービスの、キンクスとして発表(発表予定だった曲も含む)した作品集がリリースされた。1曲を除き1960年代の録音で、デイブのソロといって敬遠する人も、これは60年代のキンクスのアーカイブ、事実、itunesCDDBでも表示したのはDave DaviesではなくてThe Kinksだった。
音的にも馴染みの曲が大半ということもあるが、やはりキンクスである。全27曲だが、大ヒットとなった「Death Of A Clown」をはじめ、キンクスのアルバムやボーナストラックに収められたシングル曲、当時の未発表曲は、既発ということで内容については省略する。Web VANDAをご覧になるようなコアなファンなら「Love Me Till The Sun Shines」などについて紹介しても常識の範囲なので意味がないだろう。よってこのCDで初登場の音源のみ紹介する。「Do You Wish To Be A Man」はミディアム・テンポのフォークタッチのナンバー、おして「Are You Ready」はアコースティックギター中心のゆったりとしたカントリーナンバーだ。「Crying」はデイブのギターは光るロック・ナンバー。この3曲ではレイ先生はキーボードを弾いている。「Mr.Reporter」の初登場の別テイクはホーン・セクションがかなり大きくミックスされたため印象がかなり違う。またエンディングが30秒近く長い。この時代のデイブはルックスが良かったので、初期にはメインでカメラが当たる場合もあり、一番いい時代だった。最後にひとつ。このCD、アマゾンで890円と、異常に安い。(佐野)
Hidden Treasures

2011年11月13日日曜日

ツチヤニボンド:『2』(Analog Pants/004)


土屋貴雅による音楽プロジェクトであるツチヤニボンドが、2007年のデビュー・アルバム『ツチヤニボンド』から4年振りとなる2ndアルバム『2』をリリースした。
そのエクスペリメンタルな音像は手法的にこれまでになかった訳ではないが、日本語ロックとの融合という点では群を抜いて面白い存在であるので紹介したい。

2007年のファーストで、ミルトン・ナシメントの様なファルセットで歌われるオルタナティヴ・ロックという極めて得意な存在感から、「トロピカリズム+はっぴいえんど」とまで称された彼らだが、今作では更に深化したサウンドにより唯一無二の存在となったといえる。
先行リリースされていたシングル「おとなりさん(OTONARISAN)」におけるイントロのアラブ音楽の様な響きや70年代末期ニューウェイヴ・サウンドを彷彿させるエフェクト処理、「メタルポジション」でのローファイ・フィルターを通したリズム・トラック(タイトルとのアンビバレンツさがニクい)と、前作以上にエンジニアリングに徹頭徹尾拘っているのがこの2曲でも理解できる筈である。
特にこの「メタルポジション」の作曲スタイルには、カーティス・メイフィールドなどニュー・ソウルにも通じる感覚も聴き逃さないで欲しい。
今作のリードトラックとなっている「花子はパンク」でも、イントロのキーボードの無国籍なスケール感覚、バースでのディレイをかましたヴォーカルとリズム・セクションとのタイム感がずれていく気持ちよさ、ポリスにも通じるスリー・リズムのタイトなブレークなど聴きどころは多い。
楽曲として個人的に最も惹かれたのは「夜になるまでまって」だろう。黄昏のダブロックというべきこのバラードは多くの音楽ファンに強くお勧めしたい、後年に残る名曲だと確信する。
ただそのサウンドに身を委ねて欲しい。



アルバム全体に感じるのは、エクスペリメンタルという言葉が一番しっくりくるかも知れない。
90年代にプロデューサーのミッチェル・フルームとエンジニアのチャド・ブレイクが手掛けた諸作、ロス・ロボスの『Kiko』(92年)や『Colossal Head』(96年)、そこから派生したユニット、ラテン・プレイボーイズの同名アルバム(94年)、フルームのソロ作『Dopamine』(98年)のサウンドを当時熱中して聴いた筆者にとっては最高の音の贈り物となってしまった。
(ウチタカヒデ)