2011年2月24日木曜日

Orange Colored Sky:『Orange Colored Sky』(PICARD RECORDS/PIC0812014)


 68年にMCAレコード傘下で、ストロベリー・アラーム・クロックなどが所属したサイケデリック・ポップ・レーベルのユニ(Uni)からリリースされた、Orange Colored Skyの唯一のアルバムが世界初CDリイシューされたので紹介したい。

 Orange Colored Skyはペンシルバニア州エリー出身のラリーとヴィニーのヤンガー兄弟が中心となって62年に結成された。その後ニューヨークの名門クラブであるペパーミント・ラウンジのハウス・バンドとして活動し、68年には移住先の南カリフォルニアでユニ・レコード(67~73)と契約に至っている。同年にシングル「Orange Colored Sky/The Shadow Of Summer」と本アルバム、69年には「Happiness Is/Another Sky」「Mr. Peacock/Knowing How I Love You」「Sweet Potato/The Sun And I」と3枚のシングルをリリースした後ユニを離れた。
 今回のリイシューでは上記の全シングルの音源をボーナス・トラックとして収録しており、アルバム重複曲の「Knowing How I Love You」と「The Sun And I」はヴァージョン違いとなっている。
 ユニのサイケデリック・ポップ(ロック)・バンドといえば、ストロベリー・アラーム・クロックが最も有名であるが、他にもゲイリー・ゼクリー・ワークスの一つであるファン&ゲームスなどソフトロックの文脈で語られるバンドが少なくない。このあたりは弊誌佐野編集長監修のディスクガイド書籍、『Soft rock A to Z』最終改訂版の『SOFT ROCK The Ultimate!』を読んで頂きたい。

 プロデューサーのノーマン・グレッグ・H・ラトナーについても少し触れておこう。彼はマーク・エリックの『Midsummer's Day Dream』(69年)を手掛けたことでソフトロック・ファンにも認知されていると思う。74年にはソウル・ヴォーカル・グループのヒューズ・コーポレーションの「Rock The Boat」を手掛け全米1位にするなど活動のフィールドを広げ、後にABC/ダンヒル・ユニバーサル・レコードの副社長に登りつめることになる。
 バンドとしてのOrange Colored Skyは、ほぼ全てのソングライティングとアレンジを手掛けるキーボーディストのワルター・シルヴィンスキーがサウンドのイニシアティヴを取っているのが大きな特徴になっているが、セルフ・コンテインド・バンドのウイークポイントというべき演奏能力の低さがアレンジに追いついてない瞬間も多々耳にする。とはいえ、シルヴィンスキーのソングライティング・センスはそれを補って余りあるほど魅力的な曲が多い。
 冒頭からボナー&ゴードン作品に通じる高揚感溢れる「The Sun And I」で引き込まれる。もたりながら跳ねるドラミング(途中走ったりと突っ込み所が多いw)によって妙なシンコペーションを形成しているのが面白い。ヴァースでのピチカートとトレモロのコントラストが効いたストリングスに比べ、工夫が感じられないコーラス・アレンジはちょっと残念だ。続く「The Shadow Of Summer」はトニー・マコウレイを思わせるハートフルなソングライティングで、シルヴィンスキーのハモンド・オルガンはここでもアレンジの要になっている。
 またレイジーなサイケ・ムード漂う「Just Like Humpty Dumpty」も悪くないが、個人的なアルバムのハイライト曲は「L.A.」だ。ジャケットの色彩を連想させる心情風景をよく現している。7月に来日公演するゾンビーズにも通じるポップスの徒花的ムードはシクスティーズ通にはたまらない。



 オリジナル・アルバム未収録のシングル曲では、69年の映画『The Love God?』のために書き下ろされた「Mr. Peacock」が貴重だろう。映画ヴァージョンではダーレン・ラヴ配するブロッサムズがヴォーカルを担当しているが、ここではOrange Colored Skyのオリジナル・ヴァージョンとなっている。この曲でもギタリストとドラマーの演奏力の稚拙さが露わになっていてもどかしくなる。


 ユニでのラスト・シングルとなった「Sweet Potato」は、プロデューサーであるラトナーのその後の趣向を暗示させるファンキーなノベルティ・ポップで悪くないが、バンドとしてのスタイルは既に崩壊しており契約を切られるのも頷ける。70年にはマイナー・レーベルのピープルへ移籍しシングル1枚をリリースし、その後MGMでマイク・カーブの元、名匠ドン・コスタのアレンジでロックオペラ「Jesus Christ Superstar」をレコーディングしているが、アルバム製作までには至っていない。
 なんでもOrange Colored Skyは現在も活動を続けているらしく、結成時のオリジナル・メンバーは残っていないが、南カリフォルニアのローカル・バンドとしてビーチ・ボーイズのカバーなどを演奏して観客を楽しませているらしい。
(テキスト:ウチタカヒデ



2011年2月22日火曜日

☆宇野誠一郎:『悟空の大冒険』(ウルトラヴァイヴ/CDSOL1397-8)


手塚治虫原作だが、このTVアニメはキャラクター原案のみが手塚治虫というべきであり、若き虫プロダクションのスタッフが自由に作ったので、スラップスティックアニメの快作に仕上がった。

手塚治虫はマンガにおいてはお釈迦様のような存在で、他の漫画家がどれだけ素晴らしい作品を書いても、所詮、お釈迦様の手の内というまさにマンガの「神」なのだが、アニメに関しては制作に関わると演出に疑問符が多くついてしまうのに、好きなことは人語に落ちないという、困った大先生だった。その中でこの「悟空の大冒険」は手塚の原作の「ぼくのそんごくう」はあるものの、ほとんど関係なく作ることができた。これは制作側にとっては、ラッキーだったといえよう。

手塚は「ぼくのそんごくう」の当時、初のアニメーション化(実際は原作と構成のみ)となった東映動画長編アニメ「西遊記」への不満があり、それがもとで自身がやりたいことができるアニメ制作会社を作らねばと虫プロダクションを設立していた。(この「西遊記」は、エンディングを悲劇にしたいと思っていた手塚と、それまでのストーリーを無視して悲劇を作ろうとしていた手塚の方針に反対した東映動画スタッフで対立、結局、退屈な作品で終わってしまう。手塚の考えたエンディングでもダメだったことは明白。冗長な演出が続いていた東映動画が生まれ変わるのは森康二、大塚康生、月岡貞夫らが中心となった「わんぱく王子の大蛇退治」からであり、その後に若き宮崎駿、高畑勲が中核となって「太陽の王子ホルスの大冒険」が作られ、東映動画、日本のアニメの全盛期がやってくる。やはりアニメ制作の中で育った若いスタッフの感覚が、世界を変えていったのであり、それはこの「悟空の大冒険」にも通じている)

この「悟空の大冒険」は、自身の虫プロダクション制作なので、リベンジの場でもあったのだろうが、なにしろ手塚は乗りに乗っていた時期なので、関わっていられなかったのだろう。放送直前の1966年には、私が個人的に日本の漫画史のベスト3に入ると確信している大傑作「W3」を書いており、「バンパイヤ」「フライングベン」を残し、そしてライフワーク「火の鳥」の黎明編を書き始めていた。1966年には手塚の思い入れが深いTVアニメ「ジャングル大帝」が終わり、「悟空の大冒険」の放映と平行して「リボンの騎士」のTVアニメがスタートされており、「悟空の大冒険」は必然的にノータッチとなった。

手塚は、音楽に関しては、実に素晴らしい審美眼を持っていた。富田勲を抜擢し、日本人離れした壮大な音楽を作らせたのは、手塚の最大の功績のひとつだが、もう一人、「悟空の大冒険」の音楽を担当した宇野誠一郎をTVアニメの「W3」(「ウルトラQ」の裏だったのでみなほとんど見ていない)とこの「悟空の大冒険」で使ったのも、手塚の大きな功績だ。宇野誠一郎はリズム主体で、実験的なBGMを作れる天才であり、こういうスラップスティックタイプのアニメにはドンピシャだった。根底に流れるジャズタッチのアレンジも実に洒落ている。また後の「ムーミン」で代表させる叙情的な音楽も得意であり、聴いていてハッとさせられる美しい旋律が出てくるのも大きな魅力。宇野誠一郎の音楽を追うのは、音楽ファンとしても大きな喜びだ。(佐野)
「宇野誠一郎 悟空の大冒険」の画像検索結果

2011年2月16日水曜日

徳永 憲/『ただ可憐なもの』(SUZAK MUSIC/WaikikiRecord/NGCS-1006)



98年『魂を救うだろう』でデビューした孤高のシンガーソングライター、徳永憲が7枚目となるアルバム『ただ可憐なもの』をリリースした。
独創的なコード進行と歌詞の世界観は誰にも真似できない素晴らしさである。

先月Lampの新作サンプル盤を喜々として聴き続け1週間程経った頃、丁度届いたこのアルバムであるが、一聴しただけで直ぐに虜になってしまった。
彼のプロフィールについてあれこれ書くより、その音楽に触れてこそ理解できる魅了というか魔力というべき理屈抜きのサムシングを持っている。



グルーヴィーなドラムと地を這うウッドベースをお伴に、迷宮へと誘うアルペジオを奏でながら冬の情景を綴った「本屋の少女に」から、ミニマルなフィンガー・ピッキングのフレーズが頭から離れないタイトル曲「ただ可憐なもの」まで、アルバムのどこを切っても彼の世界に浸れる。
アルバム中最もポップな展開を持つ「神に麻酔を」は、サイケデリック期のジョージ・ハリスンに通じるコード進行で一筋縄ではいかないし、「空を切る」はGREAT3~ソロ活動での片寄明人を思わせるひんやりしたロマンティズムがたまらない。
インスト2曲が配置されたバランスや、小編成の木管を中心としたホーン・アレンジなどアルバム全体が実に効果的にまとめられている。
とにかく聴くべきアルバムの一つであることは間違いない。
(ウチタカヒデ)


2011年2月8日火曜日

★高千穂・阿蘇・天草ツアー2011

高千穂・阿蘇・天草ツアー2011

佐野邦彦





 今まで家族で行った旅行、6回の八重山、5回の宮古、4回の北海道、そして先日の長崎・軍艦島、その全てを自分が計画して、スケジュールも決めていた。そんなある日、「次は高千穂がいい」と妻がポツリ。「高千穂ってどこ?」「九州のどこか。」「何かあるの?」「神秘的なところ。高千穂峡って滝があるんだよ。そして神社も。」「パワースポット?」「そう。最高のね。」「ふーん」こんな会話をしてからかなりの時間が経っていた。

そんな中、妻が転職することになった。今回は常勤なので、転職後しばらくは休まないほうがいい。じゃあ、今のうちに旅行してしまおう。それなら高千穂だ、とあっと言う間に決めてしまった。まあ行き先は妻の希望だが、具体化は例によって自分が担当。自分がやらないと気がすまないタイプなんでそれでいい。高千穂は宮崎県だが、宮崎市より熊本市からの方がはるかに近い。で、宿泊地は熊本で決まり。
行き帰りの足はまだ大量に余っているマイレージを使う。JALの往復便だが1月は取り放題、土曜の最初の便で出て、月曜の最終便で帰るベストパターンがあっさりと取れた。ホテルは妻の本心はどうかわからないが、私は寝られればいいだけなので、妻の唯一の希望である温泉に入れるホテルということで、温泉付きのビジネスホテルクラスのホテルであるドーミーイン熊本を「じゃらん」で予約する、朝食付きで2泊3日20000円だ。2人でこの料金だから非常に安い。レンタカーは九州限定の「九州ツアーランド」から、ヴィッツクラスの車は2泊3日で免責保証料込12000円と格安で予約ができた。直接レンタカー会社のサイトから予約を入れると、料金が割高の上免責保証料も別に取られ(任意だが)、さらに旅行の6日前から20%のキャンセル料が発生してしまうから要注意。九州ツアーランドから申し込めばキャンセル料発生は当日のみなので、いつ旅行日程が変更になっても大丈夫だ。「じゃらん」のこのホテルのキャンセル料発生も前日からなので、実に気楽。ポイントも付くので次回割引になる。宿泊は旅行代理店を使えば、もっと前からキャンセル料が発生してくるのでこの「じゃらん」がオススメ。
あとは羽田空港までの足。先日の長崎の軍艦島へは、久々、モノレールで行ったが、時間はかかるし、荷物は重いし、いいことはなかった。今度は車で行くぞ!旅行代理店を通さず羽田空港の駐車場に直接止めたら幾らになるかなとたまたま調べたら、つい最近値下げをしたそうで、2泊3日でたったの4500円!電車等で行っても2人で往復4000円かかるから、ほとんど変わらない。もうこれからは直接、車だな。すると、宿泊、レンタカー、羽田の駐車料金で36500円。飛行機はタダ。九州まで行って2人でこれしかかからず、キャンセル料も前日まで発生しない(JALの特典航空券は日にちを変更できるし、どうしてもダメな場合は出発前なら一人3000円(もしくは3000マイル)のキャンセル料を払えばいい)から、思い立ったが吉日、躊躇なく決められた。     
おおまかな行先は、買った「まっぷる」で初日は阿蘇、2日目が高千穂、3日目は熊本城へ行ってから天草と決めた。インターネットでパパッと予約を入れたらもう安心して、あとは直前でよく調べればいいやと、その後、放置状態になる。
その間、入ってくるのは、記録的な大寒波、九州も大雪というネガティブ情報ばかり。2週前、1週前も土日は寒波襲来で、阿蘇は見るたびにチェーン規制。これはまずいよなあ。せっかく行ったのに山へ近づけないんじゃあ...と急遽、スタッドレスタイヤがあるレンタカーを探すことにした。
しかしここは九州、スタッドレスなんておいていない。ニッサン、オリックス、マツダはチェーンのレンタルのみ。チェーンなんて面倒くさいし、うるさいし、パスだ。トヨタレンタカーは大きな車種であるにはあったが予約で一杯だという。さて、困ったな。阿蘇は外側を回るだけで諦めるかなと半ば覚悟して、最後にと思って電話したニッポンレンタカーに聞くと、「ありますよ」と嬉しい返事が返ってきた。車種はデミオと適当なクラスだが、オプションのスタッドレス代、免責保険料を加えたら30000円と、予定の2.5倍になってしまった。でもこの寒波じゃあ仕方がない。安いもんだ。あとは果報は寝てまで(?)である。詳しい情報は飛行機の中で読むとしよう。

1月22日(土)

大学4年の長男は研究室、大学2年の二男は期末試験の真っ只中で留守番を頼む。行っている間のメシ代を渡すと、外食できるから大喜び。まあ、渡した金額だとせいぜいラーメン屋なのだが、イタメシとか決して言わないので大丈夫。松屋とかココイチで満足なんだから男の子は楽だ。
朝、8時15分発の熊本行に載り10時15分に到着した。熊本は快晴である。さっそく車を借りて阿蘇へと向かう。ここは単純に「まっぷる」のオススメドライブコースを辿ることにした。まずは阿蘇カルデラを望める標高936m の大観峰へ向かう。
登りに入ると道の脇は雪で、聞いていたとおりだ。大観峰の駐車場に止め、遊歩道の雪を踏みしめて歩いていく。大観峰からの景色は雄大で、眼下に広がる阿蘇カルデラを眺め、遠くの阿蘇五岳に目を移す。360度の風景を楽しんで、次は草千里へ。本に写っている草千里は夏の光景なので見渡す限りの草原が広がっているが今は冬、一面のススキしかないんだろうと期待薄だったが、到着すると一面の銀世界!遠くに噴煙を上げる中岳が見えるだけで、広大な白銀の世界が広がっている。これは気持ちいい。



少し歩くと上手に作った雪ダルマがひとつ。この可愛いアイテム越しに何枚も写真を撮ってしまった。







それにしてもここが九州とは思えない。北海道に来ているみたい。暖かい飲み物とトイレを探してみやげ物や並ぶ大きな駐車場へ入ると、有料だという。確か400円くらいだったと思うが、こんな場所で取るのかとちょっと思いながら、もとのタダの駐車スペースへ車を戻して歩くのは面倒なのでお金を払って止める。
この後、中岳火口へ向かうと、道路は凍結した氷が溶けたばかりのごとく全面的に濡れている。火口までの遊歩道があり、多くの観光客が列になって雪道を歩いていたが火口まではかなり遠そうだ。
すると火口までの有料道路の入り口が見えた。しめた、これは車で行こう。道は除雪されているが、これまで相当降っていたようで道路際の雪はけっこう深い。有料道路の先には駐車場がありここでもまた駐車料金が取られるなと思ったら、草千里の駐車場のチケットと共通だという。何か得した気分。
車を降りると目の前には回りの山の姿を隠してしまうほどの大量の噴煙を上げる中岳火口が見える



火口の縁には多くの観光客が群がっていた。すると風向きで噴煙がこちらの方へ押し寄せてきた。観光客は一斉に咳き込み、もうここへはいられないとばかりにみな引き上げてくる。なんだ、大げさだな、みんないなくなったから写真がよく撮れるのでラッキーだとほくそ笑んで、引き上げる観光客とは逆に火口へ向かうが、その噴煙の残りがやってきた。すると無意識にゲホゲホ咳き込んでしまう。何やら目もショボショボする。これじゃあ大量に煙が来たら耐え切れないはずだ。卵が腐ったようなにおいがまったくないので硫化水素ではなく、亜硫酸ガスなのだそうだが、体にはとても悪そうだ。こんなところで働いている人は大丈夫なのか?
幸いしばらく風向きはよくこちらに煙がこなかったので、天高くたなびく阿蘇の豪快な噴煙を、しばし堪能した。しばらくすると次の観光バスがやってきたようで、向こうから一団がこちらへやってくる。もう引き上げようと思ったら、風でまた煙がこちらへやってきた。あわてて駐車場へ引き返すと、後ろでは大勢の咳き込む声。危機一髪だった(笑)
火口下にもお土産屋がある駐車場があり、そこへ入ると、お店の方から「どちらから?」と声をかけられる。「東京からです」と答えると、「今来ているほとんどの観光客は韓国の人ですよ」     という。そういえばバスガイドが大きな声で「アンニョンハセヨ」みたいな言葉を叫んでいたな。「火口で煙が来たら咳き込んじゃって」というと「午前中はガスが濃くて火口まで行けなかったですよ」という。良かった、間一髪、ラッキーだ。そして「年に何回かはここまでガスが来るときがあり、その時はこちらも息苦しいし大変ですよ」とのこと、阿蘇のお土産さんは大変だ。韓国人はいっこうにお店には入ってこないので、何か買わなければと、無理にお土産を探して買って、火口を後にした。
残るは「まっぷる」では緑で覆われたお椀を伏せたような形の可愛い米塚という寄生火山へ向かう。車を走らせるとすぐに米塚はわかった。小高い丘だかシルエットは実にきれい。



冬なので枯れ草色だか、緑の季節だったらきれいだったろうな。冬は冬で思ったよりはるかに良かったが、緑の季節の阿蘇を見てみたい、またいつか来ようと思いながら、阿蘇を後にして熊本市内へ向かった。



☆ 1月23日(日)


 今日は、今回のハイライトとなるべき高千穂峡だ。車で1時間50分程度とあるので早くに出よう。熊本空港を越えると高千穂の看板が出てくる。登りがはじまると「路面凍結チェーン規制」の電光掲示板。おっ、やっとスタッドレスの威力を発揮するときが来たなと思ったが、到着するまで実際にチェーン規制のかかった場所はなかった。しかし除雪された道路以外は雪があり、山深い場所ということはよく分かる。結局この3日間、スタッドレスでなくても大丈夫だったのだが、はいていなければ最初の電光掲示板で諦めていたから、やはり付けた意味は大きかった。
標識の「高千穂」を追い続けると自然と高千穂神社が目の前に出てきた。ここはアマテラスオオミカミの孫であり、神武天皇の曽祖父であるニニギノミコトを祭ってある神社だ。



まずはこの由緒正しい神社にお参りしてから、高千穂峡へ向かう。




ここには渓谷の上から真名井の滝が注いでいるのだが、その滝の下まで手漕ぎのボートで行くことができる。このボートが夏場は大人気で、4時間待ちなどザラだと書いてあった。急な階段を下りてボート乗り場まで行くと誰一人待っている人はいない。先に一艘のボートが出ていたが、渓谷は貸し切り状態。来るのは冬に限るな。深い緑の湖面を船はするりと進んで先に滝が見えてきた。



水量はあまり多くはないが高さがあり、ちょうど陽が滝に当たって落ちていく水がまばゆいばかりに輝いている。左右は見上げるばかりの柱状節理のゴツゴツした岸壁で、崖の上の樹木が彩りを添えていた。静かで、実に美しい。







ここ、高千穂峡がパワースポットと言われる所以が、感覚的にも分かった。滝の近くに一艘のボートが停まっているが、よく見ると救護の人の船だ。こうやって何かあった時のためにいつも待機しているのだろう。
船を進めるとほどなく行き止まりとなり、船を戻すが、その時には何艘ものボートがこちらに向かっており、静けさは少しずつ破られていく。ただすぐ戻るには名残惜しく、ゆっくりと滝の輝きを眺めながら船を船着場へ戻した。




階段を上がったあとは、ボートから渓谷の上にかかる橋が見えていたので、そこを目指して遊歩道を歩くことにする。遊歩道は観光コースに入っているようで、添乗の人の案内で団体さんとたくさん行きかうことになる。でも行きはまだ人はそこそこで、真名井の滝を見下ろせる絶好のポイントで、人に邪魔されずに写真を撮ることができた。見下ろす滝はまた格別に美しく、欝蒼とした木々と黒々とした深い渓谷の断崖の間から、川面に光の帯を注いでいる。自然の景観とは言え、これだけ見事に滝に光が与えられるのだから、ここ高千穂峡が日本全国に知れわたる訳だ。
引きかえすと観光客はどんどん多くなり、帰りに見下ろす滝の下には幾艘ものボートが五ヶ瀬川を埋めていた。どうやら高千穂峡は昼から賑わうようだ。
 高千穂峡をあとにして、どうしてもいきたかった天岩戸神社へ向かう。ここは読んで字の如し、アマテラスオオミカミを祀っている神社で、実際に天岩戸が祀ってあるのだという。天岩戸を見るには、神社の人に声をかけ、案内してもらう必要があると書いてあったので、お守りを買ったあと声をかける。すると神職の方がやってきて拝殿へ案内され、お参りのあとで御祓いをしてくださり、鍵のかかった木の扉を開けてくれた。



ここからは一切の撮影は禁止と告げられるが、逆に期待が高まった。少し歩くと展望台のような場所があり、崖の向こうは鬱蒼とした木が茂っている。神職の方の話では、この向こうに天岩戸があるが、長い間の浸食や落石などで今は窪みだけになっているという。目を凝らして崖を眺めたが、木々に隠れてそれらしい場所はまったく分からなかった。再び鍵のかかった木の扉をあけ、今度は神楽殿へ到着する。




そこには、大きな古代イチョウの木があり、この木は非常に珍しい木で、他に存在する神社は長野の諏訪の大社だけだという。また、よく由来を聴きそこねてしまったが、ここに祀られているものと同じものがやはり天岩戸伝説を持つ長野の戸隠神社にあるとも。
遠い宮崎の地で、思いもかけず長野の地名が2箇所も出てきて長野出身である妻は大喜び。やはり高千穂は縁があったんだと、その後も色々とお守りを選んでいた。ここで神職の方は帰っていかれたが、約20分も我々のためだけに案内してくれたのに、一円も取らない。なんと清々しい。
神楽殿には、鏡が祭られていた。何の鏡かな。菊の御紋の神社。高千穂神社もそうだった。まわりは皇族方の植樹だらけ。いかにこの場所が天皇家にとって縁の場所なのかよく伝わってきた。
この天岩戸神社はアマテラスオオミカミの他に祀っているのがスサノオ、アメノウズメ、タジカラノミコト、そして山幸彦(ウミヒコ・ヤマヒコの兄弟の弟で、神武天皇の祖父)と聞き、何とも嬉しくなってしまった。
私は天孫降臨など神話の話はよく知らないが、東映動画長編アニメーションの大傑作「わんぱく王子の大蛇退治」の大ファンだから、これらの神々の名前はアニメのキャラとして顔を声も浮かんできてしまう。まだ若き森康二、大塚康生、小田部羊一、高畑勲らそうそうたる面々が作り上げた日本のアニメーション史上に残る名作なので、これから高千穂へ行く人でこのアニメを見たことがない人は絶対に見てから行ったほうがいい。楽しさが10倍になること間違いない。

天岩戸神社のあとは、歩いて天安河原へと向かう。階段を降り、川を伝って神集いの洞窟へ到着する。



天岩戸にアマテラスオオミカミが隠れてしまい、世の中が暗黒になってしまったため、八百万の神々が集まって相談した場所だ。そして計略を練ってアメノウズメが踊りだし、その楽しそうな宴が気になってアマテラスが少し岩戸を開けると、力持ちのタヂカラノミコトが岩戸を一気に開けてしまうのだが、これは「わんぱく王子の大蛇退治」のハイライトシーンのひとつ。
個人的には天岩戸神社、天安河原とすっかり馴染みがあるような気がして、この2カ所巡りは楽しいひと時だった。
その後、くしふる神社へ寄るが、他の2神社と違って訪れる人もなく、しんと静まりかえっていた。
そして熊本へ戻る。熊本は名物が馬肉と辛子れんこんだが、辛子れんこんは好きだがおかずではないし、馬肉は興味がない。
そういう訳で初日もこの日も、熊本ラーメンの人気店で夕食をとった。昨日は大黒ラーメン、今日は黒亭という店で、熊本ラーメンの人気トップ2のようだ。並ぶかなと思ったが、ホテルへ戻らず車で直接店に行ったので、到着は5時過ぎくらい、まだ混雑時間ではないので悠々と食べられた。熊本ラーメンはどんこつベースだが、あっさりしていて、焦がしニンニクとキクラゲ、ネギの3つに、もも肉のチャーシューが入った作りになっている。味はよく、2日連続で食べても飽きなかった。安上がりだし、こういう旅の夕食もいいね。

☆1月24日(月)

今日は天草まで足を伸ばすので、熊本城は早くに行かないといけない。8時半の開門を待って入ったので、2番目の入場者だった。その広さで他を圧倒する熊本城、お堀も広大だ。入ってすぐ目の前に天守閣、そして横に宇土櫓がそびえる。



熊本城は残念なことに西南の役で炎上してしまったが、宇土櫓だけは焼け残ったというので、まず宇土櫓を上る。



城はどこも暗くて寒い。階段も急。てっぺんは熊本城が目の前でいい景色だが、風が吹き込み寒いのなんの長居はできない。昔の侍は偉かったなあ...。
熊本城はコンクリート作りで中は博物館になっている。加藤清正、細川公時代、まあふーんという感じで見ていたが、途中から西南戦争の資料が並んでいて目を見張る。熊本鎮台の服、薩摩軍の服があり、薩摩軍が熊本城に放った矢に結び付けられた投降を呼びかける手紙、そして到着した官軍が薩摩軍に向かってまいた「官軍に投降する者はころさず」というビラなどが並び、目が釘付けになってしまった。当時使ったスナイドル銃など様々な銃もあり、幕末ファンの長男に見せてやりたかったなーと思わずつぶやいた。
熊本城もハングルが飛び交っていたが、朝鮮半島へ攻め入って、一気に満州までも攻め込んだ加藤清正は、間違いなく悪役のはず。よく来るもんだと、そんなことを思いながら次の目的地、天草へ向かった。
1時間ちょっとで天草四郎メモリアルホールに到着する。ここではマネキンや模型などで天草の乱などを見せてくれるが、たいしたものではない。そしてホールに通され、これからは3Dの短編映画の上映だという。3Dメガネを各自、渡されたが、どうせチャチなアニメなんだろうと期待はしていなかった。しかし映画がはじまると、NHKの大河ドラマのように時代の重みを感じさせるドラマで、なかなかの出来。思わず見入ってしまった。こんな場所だけで上映しているのはもったいない気がする。クロージングを見ると製作はNHKの関係だ。だからか。でもお金をかけたな。


城に建てこもった3万7千人を、女、子供も含め皆殺しにした幕府軍には嫌悪しかない。幕府は小西、佐々、加藤と3人もの大名家をお取りつぶしにしたから大量の浪人が発生したわけで、その人たちが天草軍に入った。だから天草軍は強く、幕府は大いに手こずったのだ。ただの農民一揆ではなかった。この後は天草の5つの橋を渡り、最後の橋を渡ってから5番目の端が見下ろせる高台へ車を止めた。



海は緑に輝き、沖縄のような翡翠色ではないが、そこに小さな島が点在し、海の彼方には雲仙岳が雲に隠れてそびえ、見事な景観だ。白い橋もいいアクセントになっている。風が強く、陽が雲に隠れてしまうと、海の色はすぐに鼠色へ変わってしまう。もう潮時だ。


「まっぷる」で見た海鮮料理の店「ふくずみ」へ行き、食べたかったウニイクラ丼を注文する。たっぷり具が乗っていて値段は1600円、安いなあ。東京でもこの値段でやってくれないかな。
 天草から熊本空港までは距離があるので、ここで引きかえす。空港へは出発2時間前と早くに着き、ゆっくりと食事をして、のんびりお土産を眺めていた。いつも時間との勝負だったので、こういうゆったりした過ごし方も悪くはない。
19時15分発の飛行機に乗り、羽田には20時40分と早くに到着した。妻の希望を叶えるために行った旅行だが、高千穂、阿蘇など最高だった。この前も軍艦島だけが目当てだったのに長崎と吉野ヶ里遺跡も素晴らしかった。これはまだまだ見るところはたくさんあるな。マイレージは何往復分も残っているし次はどこへ行こう。また妻の希望を聞いてみよう。新しい発見がありそうだ。